日本のロックとポップスを裏から創り上げた男:伝説的音楽プロデューサー・佐久間正英の偉大なる足跡

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日本のロックシーンにおいて、その名前が派手に表に出ることは少なくても、日本の音楽史の根幹を決定づけた伝説的音楽プロデューサー・佐久間正英。今回は、日本の音楽文化を影で支え続けた彼の偉大な足跡と、音楽界に与えた圧倒的な影響力を俺様が徹底的に紐解いてやる。

日本のロックを影で支えた「スタジオワークの先生」

日本のロックシーンの黎明期から80年代、90年代、そして2000年代に至るまで、佐久間正英は常に日本の最前線の音楽制作の現場に立ち続けた。表舞台で派手にパフォーマンスをするギタリストやボーカリストとは異なり、彼は「スタジオワークの先生」として、アーティストの持っている原石を極限まで磨き上げ、名曲へと昇華させる役割を担い続けた。

彼が関わったアーティストや楽曲は、日本のロック・ポップス史の教科書そのものである。BOØWY、GLAY、THE BLUE HEARTS、JUDY AND MARY、エレファントカシマシなど、日本の音楽シーンの勢力図を塗り替えたモンスターバンドたちの多くが、佐久間の指導やプロデュースを受けている。楽曲の構造を客観的に見つめ直し、アレンジを劇的に洗練させ、レコーディングの質を極限まで引き上げる手腕は、当時のミュージシャンたちにとってまさに「神の手」であった。彼がいなければ、日本のロックサウンドのクオリティは現在とはまったく異なるものになっていただろう。

また、彼はロックバンドの仕事にとどまらず、80年代からアイドル全盛期の歌謡曲・ポップスシーンにおいても、近藤真彦の「ミッドナイト・ステーション」や小泉今日子の「まっ赤な女の子」などの名曲で編曲(アレンジ)を手がけるなど、ジャンルの垣根を越えて優れたポップセンスを発揮していた。

そして、佐久間が手掛けた代表的なバンドの一つにHysteric Blue(ヒステリック・ブルー)がある。彼らが自分たちで持ち込んだデモテープの才能を見抜き、「春〜spring〜」や「なぜ…」といった歴史的ヒット曲を生み出したのも、他ならぬ佐久間その人である。右も左も分からなかった若きメンバーたちにとって、佐久間は音楽的技術やプレイの姿勢のすべてを叩き込んでくれた文字通りの恩師であった。しかし、のちにそのヒスブルは、メンバーの不祥事(ギタリストによる愚劣な事件)によって取り返しのつかない形で解散に追い込まれることとなる。どれほど優れた楽曲やプロデュースによって世に羽ばたいた才能であっても、バンドのメンバー自身が自らの足元を揺るがす不祥事を起こしてしまえば、築き上げてきた歴史が一瞬で崩れ去るという、日本の音楽史における痛恨の教訓を遺すこととなった。

布袋寅泰をはじめとするトップアーティストからの絶賛

佐久間正英のすごさは、音楽業界のプロフェッショナルたち、特に日本のトップを走るアーティストたちが誰よりも深く理解し、リスペクトしている点にある。

日本のロック界のカリスマである布袋寅泰は、かつて佐久間について「プロデューサーであり、音楽的師匠であり、素晴らしいミュージシャンだった」と最大級の賛辞を送っている。BOØWYの初期から日本のロックの音作りの核を共に作り上げてきた布袋にとって、佐久間の存在は音楽的感性を共鳴させる不可欠な存在であった。

また、GLAYのリーダー・TAKUROをはじめ、彼の手塩にかけて育てられたアーティストたちは口を揃えて「佐久間さんがいなければ今の自分たちはいない」と語る。さらに、ヒスブルのメンバー(ドラムの楠瀬拓哉など)も「演奏が未熟だった自分たちのプレイもアティテュードも、すべて佐久間さんがサポートしてくれた。僕のミュージシャンとしての命はそこでいただいたようなもの」と、その絶大な恩義を語っている。ただ楽曲を整えるだけのプロデューサーではなく、アーティストの精神的な支柱となり、バンドのポテンシャルを100%引き出す卓越したディレクション能力を持っていたからこそ、これほどまでに多くのトップミュージシャンたちから圧倒的な信頼と絶賛を集め続けたのである。

多種多様な楽器を操る圧倒的なマルチプレイヤー

佐久間正英を語る上で外せないのが、彼自身が驚異的な「マルチプレイヤー」であったという事実だ。プロデューサーとしての手腕ばかりがクローズアップされがちだが、彼自身が卓越したプレイヤーであり、アレンジの段階でほぼ全ての楽器を自分で演奏してデモを構築してしまうほどのスキルを持っていた。

もともと彼はプログレッシブ・ロックバンド「四人囃子」のベーシストおよびギタリストとしてキャリアをスタートさせている。この四人囃子時代から、その卓越した音楽理論と演奏力は日本の音楽界で異彩を放っていた。ギターやベースはもちろんのこと、キーボード、シンセサイザー、さらにはドラムやパーカッションに至るまで、あらゆる楽器をプロフェッショナルなレベルで完璧に弾きこなすことができた。

レコーディングの現場において、プレイヤーの意図を完璧に理解し、時には自ら楽器を持って「こういうアプローチはどうだ」と示してみせる。その圧倒的な演奏力と音楽的引き出しの広さがあったからこそ、プロデューサーとしても一流の仕事が可能だったのである。

芸能に彩られた血筋と、乃木坂46・生田絵梨花との関係

佐久間正英の背景を語る上で興味深いのが、その華やかな親族・血縁関係である。彼は実は芸能一家の系譜に連なっており、音楽界だけでなく幅広いエンターテインメントの血脈を持っている。

その中でも広く知られているのが、乃木坂46の元メンバーであり、現在はミュージカル界などで圧倒的な才能を発揮している生田絵梨花との血縁関係だ。生田絵梨花は佐久間の親族(叔父にあたる)であり、音楽的才能に恵まれたそのDNAはしっかりと受け継がれている。佐久間が自身の最期を迎える直前、生田をはじめとする親族とのエピソードや音楽を通じた繋がりは、彼の温かい人間性を物語るものでもあった。血筋の華やかさもありながら、本人はあくまで職人気質に音楽と向き合い続けたというギャップも、彼の魅力の一つである。

見た目の派手さはないが、日本のロックの骨格を作った男

世間一般のイメージにおける「ロックスター」といえば、派手な衣装を纏い、ステージの真ん中で観客を煽るような存在を指すことが多い。しかし、佐久間正英はその対極にいる人物だった。

常に穏やかで、物静かな佇まい。派手なパフォーマンスで自分を大きく見せるようなことは一切せず、スタジオの隅で黙々と機材をいじり、音のバランスを調整し、アーティストの悩みに耳を傾ける。その外見やスタンスに派手さは微塵もなかった。

しかし、彼が日本のロックシーンに残した足跡の深さと重さは、他のどのスーパースターにも劣らない。日本のロックが「アンダーグラウンドなサブカルチャー」から「洗練された大衆文化・芸術」へと進化していく過程において、そのサウンドの骨格とクオリティを裏側から支え続けたのは、まぎれもなく佐久間正英その人であった。


結びに代えて

日本の音楽文化がこれほどまでに豊かで、多様性に満ちたものに成長したのはなぜか。その問いに対する答えを探していくと、必ず「佐久間正英」という巨大な足跡に行き着く。

表舞台の眩しいスポットライトが当たることは少なくても、彼が日本の音楽シーンに残した音の魂と、数々のアーティストに植え付けた音楽的哲学は、アイドルポップスの編曲からバンドの黄金期、そしてメンバーの不祥事によるバンドの終焉といった影のドラマも含めて、今なお日本のロックやポップスの血肉となって生き続けている。派手さを好まず、ただ純粋に音と向き合い続けた日本の音楽界の真の功労者・佐久間正英の存在は、これからも色褪せることなく語り継がれていくだろう。

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