今のご時世では考えられないような出来事が、昭和後半から平成初期には当たり前にありました。
それは「バブル景気」という、まさに濡れ手で粟の時代。では今がまともかというと決してそうでもありませんが、当時は「景気が下降することなどあり得ない」という壮大な夢を社会全体が見ていた時期でした。当時の就職活動から内定、そして入社後の実体験に沿って振り返ってみます。
就職氷河期ってなんですか?至れり尽くせりだったバブル期の就活
この時代、大学生の就職活動は4年生になってからスタートするのが一般的でした。事前にインターンでバイトのように実務経験を積むといった文化は存在しません。信じられないかもしれませんが、当時の企業説明会に行くと以下のような待遇が当たり前でした。
- 交通費として1,000円〜5,000円が現金で支給される
- ランチや夕方の時間帯には豪華な食事が振る舞われる
今の若い世代が聞いたら「なんじゃその好待遇は」と言いたくなるような時代が、まさにバブル景気でした。受ける企業で簡単な適性試験さえパスすればほぼ100%合格という、就職する側が圧倒的に有利な売り手市場だったのです。
私の最初の勤務先は港区の企業でしたが、内定解禁日である10月1日の前日から「内定者を都内のホテルに宿泊(事実上の囲い込み・拘束)」させることも日常茶飯事でした。都内在住なのになぜ都内のビジネスホテルに泊まらされるのかとツッコミを入れたくなったものです。
さらに、その会社では月に1回、世界貿易センタービルのラウンジで飲み会が開催されていました。学校帰りの私服で参加してOKという、サークル活動の延長線のようなノリで、企業側が学生をとにかくチヤホヤともてはやしてくれた時代でした。
内定後のバブル崩壊と一変した空気
しかし、バブル景気がゆっくりとはじけたことで、それまでのチヤホヤ待遇は一変します。
会社からは急に情報処理の勉強用教材が送りつけられ、「入社までに勉強しておけ」と指示が飛ぶようになりました。当然、毎月のように開かれていたラウンジでの飲み会も完全になくなりました。ただ、その会社は官公庁系の案件が半分を占めていたため、一般的な民間企業と比べればまだダメージは少なかったようです。
一方で、夜の繁華街は一気に意気消沈していきました。終電を逃して会社の経費でタクシーを使って帰る人の姿は激減し、ドミノ倒しのように日本経済が半ば崩壊へと向かっていきました。
極めつけは入社式です。取締役から「今年大量採用したことを後悔しています。1日でも早く即戦力になるよう努力してくれ」と言われ、人生の門出にそれはないだろうと痛感させられた次第です。
それでも官公庁案件の現場は動き、芝浦には熱気が残っていた
一般企業が予算縮小で仕事を減らされていく中でも、官公庁の仕事は景気改善のお題目もあってむしろ増えていました。
当時、芝浦勤務だったのですが、一部の現場にはまだ当時の景気の良さが残っていました。オフィスから徒歩5分の場所にあった伝説のディスコ「ジュリアナ東京」は、金曜の夜ともなると凄まじい大騒ぎでした。翌朝の徹夜作業明け、お持ち帰りされずに階段で寝込んでいる残念なお姉さんたちを横目に眺めながら帰宅した光景は、今でも鮮明に覚えています。
夜の飲食店弱体化と街の変遷
昨今の情勢や世の中の変化もあり、飲食店を含めて夜の街は本当に大人しくなりました。
バブル期の「朝まで飲もうぜ」と狂乱していたノリも正直おかしなものでしたが、今のようにすっかり意気消沈してしまった夜の街を見ていると、それはそれでどうなのかなと感じる次第です。

