1990年代後半、まだ誰もがインターネットを「オタクの玩具」か「怪しげな掲示板」程度にしか見ていなかった時代、「これからはネット上で全国の商店が物を売る時代が来る」と吠えた男がいた。日本興業銀行というエリート中のエリートコースをあっさりと捨て、1997年にわずか社員6人、出店店舗数13店舗という吹けば飛ぶような規模で「楽天市場」を立ち上げた三木谷浩史だ。
当時、百貨店や大手流通の幹部連中は「顔も見えない相手からネットで物を買う人間などいるわけがない」と鼻で笑っていた。だが、その後の歴史が証明した通り、嘲笑していた既得権益層は軒並み叩き潰され、楽天は日本のEC市場を支配する巨大メガベンダーへと登り詰めた。
泥臭い営業力と強固なロジックを融合させ、日本人の消費行動を根底から作り変えたこの巨大企業の足跡を、ただの「成功したITベンチャー」などという軽薄な言葉で片付けるわけにはいかない。その急成長の裏にあったしたたかな買収戦略、ポイント経済圏の魔力、そして自らを追い詰めることになった通信事業への大博打まで、俺様の視点で論理的に解剖してやる。
M&Aで手に入れた心臓部――「楽天銀行」にみる貪欲な買収劇
楽天市場の成功で潤沢なキャッシュを手に入れた三木谷が次に向かったのは、単なるECの枠組みを飛び越えた「金融インフラの強奪」であった。楽天の成長スピードを支えた最大のエンジンは、間違いなく貪欲かつ機敏なM&A(企業の合併・買収)戦略にある。
その典型例が、いまや国内ネット銀行のトップに君臨する「楽天銀行」だ。その前身は、2001年に開業した日本初のエレクトロニック・バンキング専門金融機関「イーバンク銀行」である。黎明期から独自の送金サービスなどで支持を集めていたイーバンクに対し、楽天は資本提携を通じてじわじわと影響力を強め、2009年に子会社化、翌年には「楽天銀行」へと看板を塗り替えた。自前で銀行免許を取得し、ゼロから勘定系システムを組み上げるという天文学的な時間とコストを、買収という資本の力業で一気にショートカットしたのだ。
この手腕は銀行だけに留まらない。経営不振に喘いでいた国内信販を買収して「楽天カード」を生み出し、DLJディレクトSFG証券を傘下に収めて「楽天証券」へと仕立て上げた。ECのプラットフォームを取り囲むように、銀行、クレジットカード、証券、保険といった金融の要所を矢継ぎ早に買い集め、それらすべてを「楽天」のブランドで統一したのだ。この鮮やかな買収戦略こそが、単なるショッピングモールを金融コングロマリットへと脱皮させた決定的な転換点であった。
日本中を絡め取った「楽天ポイント」という麻薬
金融インフラを傘下に収めた楽天が放った、最も恐るべき発明が「楽天ポイント」による強烈な顧客の囲い込みである。
楽天市場で買い物をすればポイントが付き、そのポイントを使って楽天カードの支払いを済ませ、楽天銀行で預金を預け、楽天証券で投資信託を買い、旅行は楽天トラベルで予約する。生活に関わるあらゆる消費活動を楽天のサービス内に留まらせる「楽天経済圏(エコシステム)」の完成だ。「お買い物マラソン」や「SPU(スーパーポイントアッププログラム)」といった射幸心を巧みに煽る仕掛けを張り巡らせ、ユーザー自らに「楽天を使わないと損をする」と思い込ませる心理ロジックは、実に見事というほかない。
ツタヤが主導権を握り損ねた共通ポイントの覇権争いにおいて、楽天が圧倒的な強さを誇ったのは、自前でECという巨大な出口と、決済・金融という太いパイプを完全に掌握していたからに他ならない。一度足を踏み入れたら最後、ポイントの魔力から逃れられなくなる蟻地獄のような生態系を作り上げた時点で、国内のプラットフォーム争いにおける楽天の勝利は決定づけられていたのだ。
「第4のキャリア」という無謀な博打とやりすぎた代償
だが、どれほど優れた勝負師であっても、自らの成功体験に酔い痴れたとき、足元の現実を見誤る。その最たるものが、2018年に表明した「第4の携帯キャリア(MNO)」への本格参入だ。
NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクの寡占市場に風穴を開け、完全仮想化ネットワークという最先端技術を引っ提げて殴り込みをかけた「楽天モバイル」。当初の目論見は、自前の通信網を握ることで楽天経済圏の最後のピースを埋め、ユーザーの生活インフラを根こそぎ独占することにあった。
しかし、全国に携帯基地局を張り巡らせるという物理インフラの構築は、Webや金融の買収劇とは次元の違う莫大な資金と時間を要求した。基地局整備のための巨額な設備投資は楽天グループの財務を激しく圧迫し、巨額の赤字を垂れ流し続けるブラックホールと化したのだ。稼ぎ頭であった楽天市場や金融事業が稼ぎ出した利益を通信の赤字が食いつぶし、優良子会社であった楽天銀行や楽天証券の上場・株式売却を迫られるという本末転倒な事態にまで追い込まれた。
巨大寡占に挑む反骨精神や男気は買うが、ビジネスのロジックとして見れば、明らかに己の企業体力を過信し「ちょっとやりすぎた」と言わざるを得ない。テクノロジーの理想を追うあまり、物理世界の壁に激突したのが、近年の楽天モバイルの苦闘である。
泥臭いKPIと「組織化」をやり切ったメガベンチャーの真価
通信事業での失点や強引な経営手法に対して世間の批判が集まることは多い。しかし、日本のIT産業史において、楽天が果たした「組織化」の功績だけは正当に評価されなければならない。
日本のベンチャー企業の多くは、カリスマ創業者の直感や属人的な能力に依存し、社員数が増えるにつれて組織崩壊を起こすのが常だ。だが楽天は違った。目標達成のための緻密な数値管理(KPI)、徹底的な業務のプロセス化、そして世界展開を見据えて全社で断行した「社内公用語の英語化」など、ベンチャー気質を残しながらも、軍隊のような統率力と規律を持った巨大組織へと自らをアップデートさせ続けた。
精神論で社員を鼓舞しながらも、裏側では極めて論理的かつシステマチックにPDCAを回す強固な組織構造を作り上げたからこそ、この企業は何千億もの荒波を被りながらも倒れることなく生き残っているのだ。
無謀な通信の博打に揺れながらも、この怪物が日本のデジタル経済に刻んだ爪痕はあまりにも深い。ポイントという甘美な罠で日本中を呑み込み、泥臭い組織力で巨大な城を築き上げた楽天の軌跡には、ビジネスという名の戦場を生き抜くための、凄まじい執念と知略が詰まっているのである。

