製造業のプライドを捨てて生き残る――富士通に見る「自前主義の完全否定」と老舗の実用主義

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古参巨大ITベンダーの原点:通信機から始まった「電電ファミリー」の系譜

日本のIT産業の歴史を語る上で、富士通という存在を避けて通ることはできない。同社の起源は1935年、古河電気工業とドイツのシーメンス社による合弁会社「富士電機製造」の電話部管轄が分離独立して設立された「富士通信機製造株式会社」に遡る。創業の礎となったのは、関東大震災の復興事業で導入された自動交換機技術であり、設立当初から日本の情報通信インフラの骨格を担う宿命を背負っていた。

戦後は日本電信電話公社(現NTT)の通信網構築を支える「電電ファミリー」の中核として君臨し、国産初の商用リレー式計算機「FACOM 100」の開発を手掛けた。その後、IBM互換機路線へと舵を切り、メインフレーム全盛期には国産ベンダーの頂点として世界の巨人と覇を競い合った。

売上高3兆円超、グループ連結従業員数12万人以上を抱えるこの巨大企業は、一見すると日本の重厚長大産業の典型のように映る。しかし、その内実を観察すると、同業他社とは決定的に異なる特異性が浮かび上がる。それは、日本の老舗製造業を長年縛り付けてきた「自前主義(自社技術への過度な固執)」を、驚くほどあっさりと脱ぎ捨てる徹底した実用主義である。

自社製品へのこだわりを捨てる判断:サン・マイクロシステムズとの歴史的決断

日本の大手電機メーカーの多くは、自社開発のハードウェアを「技術の結晶」「企業の魂」として神聖視し、そのプライドに殉じるように衰退していった。自社規格の囲い込みに失敗し、世界標準の波に呑まれて撤退戦を強いられた事例は枚挙にいとまがない。

だが、富士通はこの罠に決して嵌まらなかった。その最大の象徴が、1980年代後半から1990年代にかけての米サン・マイクロシステムズ(現オラクル)との提携劇である。

当時、オープンシステム化とダウンサイジングの猛威が吹き荒れ、富士通が得意としてきたメインフレームの牙城は急速に崩れつつあった。次代を担うUNIXサーバーやワークステーションの覇権争いにおいて、自社開発のアーキテクチャに固執して玉砕する道を選ぶのが従来の日本企業だった。しかし、富士通は自社製ハードウェアへのこだわりをかなぐり捨て、市場で圧倒的な支持を集めていたサンの「SPARC/Solaris」アーキテクチャを全面的に受け入れ、OEM供給および共同開発という形で自社ラインナップの中核に据える決断を下したのだ。

自社製プロセッサの優位性や純国産の看板に過度に拘泥せず、「顧客が求める市場のデファクトスタンダード」を即座に自社の武器として取り込む。技術者の意地よりも商売の勝敗を最優先するこの身軽さこそが、オープン化の荒波で競合が脱落する中、富士通が致命傷を避けて生き残った最大の勝因だった。

「世界の車窓から」に見る、お茶の間への浸透とBtoBへの純化

かつての富士通を語る上で欠かせないもう一つの顔が、圧倒的な「お茶の間での認知度」である。その象徴が、テレビ朝日の長寿ミニ番組『世界の車窓から』における一社提供スポンサーとしての存在だった。

1987年の番組放送開始から30年以上にわたり、夜の静けさの中で石丸謙二郎のナレーションとともに流れた富士通のCMは、多くの日本人の脳裏に刻み込まれている。当時は家庭用パソコン「FMV」シリーズが全盛期を迎え、ワープロ専用機「OASYS」や携帯電話など、一般消費者の生活に直結する身近な製品を多数抱えていた。旅情を誘う列車の映像と富士通の企業イメージは完璧に重なり合い、技術力と親しみやすさを兼ね備えた電機メーカーとしての地位を揺るぎないものにしていた。

しかし、2020年代に入ると同社はこの象徴的な単独提供から静かに退くことになる。それは単なる広告費の削減ではなく、一般消費者を相手にするBtoC企業から、法人向けDXや基幹システム支援を主軸とする「完全なBtoBサービス企業」へと脱皮を遂げたという明確な意思表示でもあった。昭和から平成にかけて築き上げた親しみやすいイメージすら、事業構造の転換に合わせて躊躇なく手放していく姿勢に、同社のブレない実利主義が垣間見える。

「FJcloud」を持ちながらAWSと手を組む:実利を選び取る二枚腰の戦略

この「自前の看板への不執着」は、近年のクラウドシフトにおいても遺憾なく発揮されている。

富士通は本来、堅牢なデータセンター基盤と自社開発のクラウドプラットフォーム(現在の「FJcloud」)を有している。自社クラウドを保有する国内ベンダーの多くは、投資回収を急ぐあまり、顧客に対して自社サービスへの囲い込みを図り、結果としてAmazon Web Services(AWS)やMicrosoft Azureといったグローバルメガクラウドの普及スピードに追いつけず孤立していった。

しかし、富士通が取ったスタンスは極めて現実的だった。自社クラウドを公共・金融などの超高セキュリティ領域向けに維持・発展させつつ、早々にAWSの最上位パートナーとして名乗りを上げ、顧客がAWSを望むなら何のためらいもなくAWSの導入・移行支援を担う体制を築き上げたのだ。

自社の製品やインフラを売ること自体を目的化しない。「顧客のビジネスに必要なインフラが他社製であるなら、喜んでその他社製を組み込み、その上で動くシステム構築や保守運用の果実を刈り取る」という割り切り。自前クラウドを抱えながら平然と世界最大の競合のトップパートナーとして振る舞うこの柔軟性は、プライドに縛られた旧来のメーカー気質からは決して生まれない芸当である。

聖域なきグループ再編:PC・半導体・携帯電話の切り離し

富士通の柔軟性は、事業ポートフォリオの大規模な解体と再編成の歴史にも如実に表れている。

かつて同社の顔であり、一般消費者に最も親しまれていたPC事業(FMVシリーズ)は中国レノボ傘下へ、携帯電話事業(arrowsシリーズ)は投資ファンドのポラリス・キャピタル・グループへ、そして多大な設備投資を必要とする半導体事業(富士通セミコンダクター)はオン・セミコンダクターや三重富士通セミコンダクターの売却を通じてグループ外へと切り離された。

どれもがかつての富士通を支えた輝かしい看板事業であり、一般的な大企業であればOBの反発や社内の縄張り争いによって撤退の決断が何年も先送りされるような「聖域」ばかりである。しかし、富士通は低収益・コモディティ化したハードウェア事業を躊躇なく外部へ放出し、経営資源を企業のDX支援やITサービス事業へと一極集中させた。

さらに近年では、親子上場を解消するために国内上場子会社(新光電気工業や富士通ゼネラルなど)の売却・整理を進め、グループ全体の構造改革を矢継ぎ早に断行している。自ら築き上げた看板であっても、時代に合わなくなれば容赦なく手放すこの外科手術の速さは、創業90年近い日本の大企業の中では異例のスピード感と言える。

理研との「富岳」開発に見る、捨てるべきでない技術の選別

一方で、富士通が単なる商社的なシステムインテグレーター(SIer)に成り下がっていない点は、特筆すべき事実である。ハードウェアの製造から次々と手を引く一方で、同社は「世界で戦えるコア技術」だけは極めて戦略的に保持し続けている。

その最たる証拠が、理化学研究所と共同開発したスーパーコンピュータ「富岳」だ。「京」の後継機として開発された富岳は、プロセッサ「A64FX」を含めた独自設計であり、世界スパコンランキングで4冠を達成するなど、圧倒的な技術力を世界に知らしめた。さらに、次世代計算基盤である量子コンピューティングやAI技術の研究開発にも惜しみなくリソースを投じている。

すべてを自前で作る愚行を捨て去る一方で、国家インフラの基幹を成す最先端の超高度計算領域においては、自社でしか作れない絶対的な技術力を保持する。この「捨てる技術」と「磨き抜く技術」の峻別こそが、富士通の戦略の真骨頂である。

老舗でありながら最も身軽なリアリスト

重厚長大な電電ファミリーの旗手として生まれ、メインフレームの巨星として君臨しながら、時代の潮目が変われば自社製ハードの看板をかなぐり捨て、世界標準のアーキテクチャやクラウド巨頭と躊躇なく手を組む。かつて『世界の車窓から』で茶の間に浸透させた看板も、事業の軸足をBtoBサービスへと移す過程で静かに畳んだ。

富士通という会社の真の強みは、開発力や資金力そのものというよりも、創業から90年近くを経てもなお衰えない「徹底した合理主義」と「しなやかな柔軟性」にある。自社の技術や過去の成功体験に溺れ、自ら檻を作って衰退していった日本の名門メーカーたちの中で、富士通は最も泥臭く、最も老獪に、生き残るための変態を繰り返してきた。

老舗の仮面を被りながら、中身は常に市場の勝者と最適解を見極めるリアリスト。この身軽な変幻自在さがある限り、日本のITインフラの心臓部において、富士通がその座を譲ることは当面あり得ないだろう。

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