株式会社フェルナンデス(FERNANDES CO., LTD.)の歴史は、1969年に設立されたクラシックギターの販売会社「斉藤楽器興業」に端を発する。その後、1972年に「フェルナンデス」へと社名を変更し、エレキギターの製造・販売へと本格的に舵を切った。当時の日本の楽器業界は、本場アメリカのフェンダーやギブソンといった憧れの輸入楽器が到底若者には手が出ない高嶺の花であり、国内メーカーによるコピーモデルの製造が活発化していた時代である。
フェルナンデスは、ストラトキャスターなどのフェンダー系コピーを「フェルナンデス」ブランドで、レスポールをはじめとするギブソン系コピーを「Burny(バーニー)」ブランドで展開。初期こそ「本物の手に入らない若者が妥協して買う国産コピー品」「安物」というレッテルを貼られることも少なくなかったが、木工加工や組み込みを請け負っていた国内屈指の提携工場(河合楽器製作所や東海楽器、東海地方や長野の熟練工房など)の技術向上とともに、その工作精度とコストパフォーマンスは急速に海外製品を脅かす水準へと進化していった。
BOØWYが打ち破った「日本製安物」の偏見――腰の位置でしか弾けない狂気のカッティングギア
1980年代初頭まで、プロが使うギターといえば「FenderかGibsonのUSA製ヴィンテージ」が絶対の正義であり、国産ブランドをステージで構えることはどこか格下のように見なされる空気が根強く漂っていた。その強固な偏見を、圧倒的なビートと鋭利なカッティングによって粉砕したのが、社会現象を巻き起こした伝説のロックバンド「BOØWY」と、そのギタリスト・布袋寅泰である。
布袋が構えた黒いボディに白の幾何学模様(G柄)が走るテレキャスタータイプ「TEJ」は、それまでのトラディショナルなギター像を完全に破壊した。シャープなヘッドシェイプに、無駄な装飾を削ぎ落としたブラックパーツ、そしてEMGピックアップを搭載した硬質でエッジの効いたトーン。BOØWYの爆発的なブレイクとともに、全国のギターキッズたちはUSA製のトラディショナルなギターではなく、フェルナンデスの「TEJ」を血眼になって買い求めた。
後年、布袋自身が「この布袋モデルではハードロックは弾けない」「ギターの高さを腰のあたりに低く構えないと弾けない」と語ったという逸話は、このギターの特異な完成度を雄弁に物語っている。万能な優等生など端から目指していない。ストラップを長く下げ、腰の低位置で右手を激しく振り抜いてあの鋭利なビートを刻むことだけに特化した、徹底的に尖ったバランス設計。その研ぎ澄まされた割り切りこそが、フェルナンデスの技術が単なる安物コピーの域を脱し、アーティストの狂気的な美学と一体化した決定的な瞬間であった。布袋寅泰の存在は、「フェルナンデスは妥協案ではなく、最先端のロックを鳴らすための鋭利な武器である」という事実を全国の少年たちに見せつけたのである。
X JAPANモデルに見る驚異のアーティスト密着技術
1980年代後半から1990年代にかけて訪れたバンドブームとヴィジュアル系ロックの勃興期において、フェルナンデスの存在感は頂点に達する。その象徴が、X JAPANのギタリスト・hide(松本秀人)との蜜月関係であった。
hideが愛用したトレードマーク、奇抜な変形シェイプにショッキングピンクやチェリーサンバースト、そして自らペイントしたサイケデリック柄を纏った「モッキンバード(MGシリーズ)」は、フェルナンデス(Burnyブランド)のクラフトマンシップが極限まで発揮された名作である。変形ギター特有の重心の悪さやヘッド落ちといった物理的な欠点を、木材の選定やボディバランスの微調整によって克服し、激しいライブパフォーマンスと太く抜けるヘビーなサウンドを完璧に両立させた。hideのMGモデルは、楽器業界において異例のロングセラーを記録し、今なお世代を超えて愛され続けている。
フェルナンデスの真骨頂は、単にアーティストの名前を冠したギターを売るだけでなく、アーティストがステージで求める極限の要求を物理的な技術として具現化する「現場密着のエンジニアリング」にあった。その代表例が、弦を磁力で永続的に振動させ、無限のサステインを生み出す画期的なシステム「サスティナー」の開発である。弦を鳴らした瞬間からフィードバックが途切れず鳴り続けるこの機構は、hideの変幻自在なノイズプレイやスティーヴ・ヴァイなどの世界的ギタリストたちにも絶賛され、フェルナンデスの高い独自技術を世界に知らしめることとなった。
布袋の右腕「ゾディアック」へと受け継がれた職人魂
フェルナンデスが単なる「流行に乗っただけの量産メーカー」ではなく、本物の技術力を有していた動かぬ証拠が、後に布袋寅泰のメインギターを一手に引き受けることになるブランド「ZODIAC WORKS(ゾディアック・ワークス)」の存在である。
ゾディアックを立ち上げた伝説のマスタークラフトマン・松崎淳氏は、もともとフェルナンデスのカスタムショップでチーフクラフトマンを務め、布袋のトレードマークである幾何学模様のギターを現場で直接調整し、製作していた中心人物であった。布袋の極めて繊細なピッキングニュアンスや、過酷なツアーに耐えうる狂いのないネック剛性、ステージごとのシビアなセッティング。それらすべてをフェルナンデスの現場で支え抜いた松崎氏の技術があったからこそ、布袋は全幅の信頼を寄せ、松崎氏が独立してゾディアックを興した後も生涯のパートナーとしてそのギターを抱き続けた。
世界に名を馳せるトップアーティストが自らの表現の命運を託した技術の母胎は、間違いなくフェルナンデスの現場で培われた職人技の中にあったのだ。
時代の激流と栄光の幕引き
しかし、1990年代後半をピークに、フェルナンデスを取り巻く環境は激変していく。少子化の進行、若者の音楽リスニングスタイルの変化、娯楽の多様化によって国内のバンドブームは徐々に沈静化し、ギターを手に取る若者の絶対数が激減していった。
さらに、アジア諸国の工場による超低価格ギターの台頭や、老舗海外ブランドの廉価版モデルとの激しい価格競争に巻き込まれ、中間層を支えていた国産エントリーモデル市場は急速に縮小。アンプ内蔵型で爆発的なヒットを記録した国民的ミニギター「ZO-3」などのアイディア商品で踏みとどまりを見せたものの、楽器市場全体の地盤沈下を止めることはできなかった。
そして2024年7月、フェルナンデスは東京地裁へ破産を申請し、半世紀以上にわたる歴史の幕を静かに閉じた。
フェルナンデスが遺した最大の功績は、高嶺の花だったロックの衝動を、日本全国の名もなき少年少女たちの部屋へと解放したことにある。テレビの中で激しいリフを刻むロックスターと、楽器店の硝子ケースに並ぶギターを繋ぎ、誰もがステージの主役になれる夢を与えてくれた。たとえ会社組織としてのフェルナンデスが消滅しようとも、布袋の刻んだエッジの効いたビートの中に、hideが鳴らした永遠のサステインの中に、そしてあの日ボロボロになるまで練習した数え切れないキッズたちの記憶の中に、フェルナンデスの遺伝子は不滅の音となって鳴り続けている。

