都営新宿線と大江戸線が交差する森下駅、そして近年はお洒落なカフェや現代アートの街として注目を集める清澄白河。日本橋や大手町といった都心のビジネス街から地下鉄でわずか数分という至近距離に位置しながら、隅田川を一本渡ったこの深川界隈には、高層ビル群の無機質な気配を拒むかのような濃密な下町情緒が今なお息づいている。網の目のように張り巡らされた小名木川や仙台堀川といった運河、立ち並ぶ古びた長屋、路地裏の銭湯から立ち上る湯気。ここは、近代的な都市の利便性と江戸・東京の歴史的堆積が奇跡的なバランスで同居する特異なトポスである。
個人的にも、この森下という街には言葉に尽せぬ深い郷愁と愛着がある。実家を離れ、誰にも干渉されない自由と引き換えに生活のすべてを自力で背負い込むことになった「一人暮らしを始めた街」だからだ。
手狭なアパートの鍵を開けたときの静寂、窓の外から微かに聞こえる大江戸線の走行音や都営バスの排気音、スーパーで安い食材を買い込んで慣れない自炊に四苦八苦した日々。夜になれば下町の路地裏をあてもなく徘徊し、赤提灯の光に照らされた地元民たちのざわめきに耳を傾けた。独立した一人の人間として社会と対峙し始めたあの瑞々しい日々の記憶は、今でも森下の路地を吹き抜ける川風とともに胸の奥底で疼く。
芭蕉の旅立ち、鬼平と金四郎の息遣い:重層する江戸の記憶
このエリアを歩くということは、幾重にも折り重なった江戸の歴史の地層を足の裏でなぞる行為に他ならない。
森下駅から隅田川方面へ歩を進めると、かつて松尾芭蕉が庵を結び、門人から贈られた芭蕉の木を愛でた「芭蕉庵跡」が静かに佇んでいる。元禄2年(1689年)の春、かの不朽の紀行文学『おくのほそ道』の旅路へ向けて「草の戸も 住み替る代ぞ ひなの家」と詠み、千住へと舟を出したスタート地点こそ、まさにこの深川・森下の地であった。荒涼とした旅の果てを見据えた漂泊の俳諧師が呼吸していた空気が、今も川沿いの小道に漂っている。
歴史の影はそれだけに留まらない。少し足を伸ばせば、時代劇の金字塔として名高い「鬼平犯科帳」の主人公・長谷川平蔵宣以、そして桜吹雪の刺青で知られる名奉行「遠山の金さん」こと遠山左衛門尉景元が居を構えていた屋敷跡の石碑がひっそりと街角に姿を現す。さらに北側の両国方面へ足を向ければ、赤穂浪士の討ち入りで知られる忠臣蔵の舞台「吉良上野介邸跡(本所松坂町公園)」が住宅街のただ中に残されている。江戸の文芸、捕物劇、武士の仇討ちといった歴史的ドラマの現場が、現代の日常的な生活道路の脇に平然と溶け込んでいる事実には、何度訪れても背筋が震えるような興奮を覚える。
隅田川を臨む新大橋の風景:ロンバケの残影、セナマン目の前の空き地に建ったマンション
森下から隅田川に架かる「新大橋」へと視線を移すと、そこには江戸の歴史とはまた異なる、1990年代のポップカルチャーが残した強烈な残影が重なり合う。
かつて社会現象を巻き起こした名作ドラマ『ロングバケーション』。木村拓哉演じる瀬名と山口智子演じる南が暮らし、屋上の看板や堤防沿いの緑道が象徴的に映し出されたロケ地(通称・セナマン)が存在したのは、まさにこの新大橋の袂であった。ドラマの中で二人が夜風を受けながら語り合い、すれ違った水辺の景色は、当時の若者たちの心に強烈な憧憬を植え付けた。
そして、当時のファンや界隈を知る者にとって忘れられないのが、そのセナマンの目の前に広がっていたぽっかりと広い「空き地」の存在である。遮るもののないあの広大な空き地があったからこそ、隅田川からの風が吹き抜け、ドラマ特有の切なくも開放的な空気感が画面越しに成立していた。しかし時代の変遷とともに、そのセナマンの目の前にあった象徴的な空き地には近代的なマンションが堂々と建設され、かつて広がっていた抜けの良い景観は一変した。街が新陳代謝を繰り返し、生活の場として塗り替えられていくリアルをこれほどまざまざと見せつける光景もない。
現在の新大橋から眺める夜景は、首都高速の高架を行き交う車のテールランプと、遠くそびえる東京スカイツリーの光が漆黒の隅田川に反射し、息を呑むほど美しい。空き地にマンションが建ち並び、風景のディテールが更新されてもなお、深夜に橋の欄干に身を預けて川面を見下ろせば、あのドラマの甘美な幻影と川のせせらぎが混ざり合い、消え去った昭和・平成への切ない哀愁を呼び起こす。
木材蔵から赤線・ドヤ街の歴史、そして両国側の「年に1回の衣服バザー」へ
森下から清澄白河方面へと南下すると、高橋(たかばし)商店街、通称「のらくろロード」が姿を現す。漫画家・田河水泡が少年時代をこの地で過ごした縁から、名作『のらくろ』のキャラクターたちがアーケードの看板や旗に踊り、昼間は昭和レトロな下町商店街の温かな空気を振りまいている。
しかし、この街の歴史は単なる牧歌的な商店街の姿だけでは語り尽くせない。江戸時代、深川は「木場」に代表されるように広大な材木蔵が広がる物流の中心地であった。川筋を材木が埋め尽くし、荒くれ者の木場鳶や荷揚げ労働者たちが命を削って働いた。そうした労働者の街としての土壌は、やがて戦後のドヤ街(簡易宿泊所街)の形成へとつながり、一角には赤線地帯(銘酒屋街)としての暗い影も落としていた。酒と肉欲、日雇い労働の疲労が澱のように溜まっていたアンダーグラウンドの記憶は、現在の整然とした商店街の路地裏にも微かな湿り気として確かに染み付いている。
そして、森下からすぐ北の両国側に目を向けると、この地域ならではの圧倒的な活気を見せる風物詩がある。近隣の住民のみならず遠方からも大量の買い物客が詰めかける「年に1回の衣服バザー」である。繊維や問屋の歴史を色濃く残す両国エリアの路地や広場が、この日ばかりは見渡す限りのワゴンと山積みの衣料品、そして破格の掘り出し物を求める人々の熱狂で埋め尽くされる。威勢のいい掛け声と激しい値切り交渉が飛び交うその光景は、まさに下町庶民のバイタリティそのものだ。
近代的なカフェやギャラリーが並ぶ洗練された清澄白河のすぐ隣で、江戸の記憶と昭和の哀愁、労働の歴史、そして両国の泥臭い熱気を背負い続ける森下。都心のすぐそばにありながら、決して過去の影を手放そうとしないこの街の夜は、どこまでも深く、温かく、そして仄かに切ない。

