家電とサザエさんの記憶から重電の深奥へ――東芝に見る「栄光・崩壊」と電力インフラに宿る最後の底力

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日本の近代化そのものを背負った名門:からくり儀右衛門の遺伝子

東芝という企業の歴史を紐解くことは、近代日本が辿った産業革命の軌跡をそのままなぞることに等しい。同社のルーツは二つに分かれる。一つは「からくり儀右衛門」の異名をとった幕末・明治の天才発明家・田中久重が1875年に銀座に興した「田中製造所」。もう一つは、白熱電球の国産化を目指して1890年に設立された「白熱舎(後の東京電気)」である。この二つの潮流が1939年に合流し、「東京芝浦電気(のちの東芝)」が誕生した。

日本初の水車発電機、国産初の白熱電球、電気洗濯機、電気冷蔵庫、電気掃除機、カラーテレビ、二重回転式扇風機。現代の日本人が当たり前のように享受している「家庭の電化」の歴史は、ほぼ東芝の開発史そのものだった。重電と呼ばれる大型発電設備や産業インフラから、茶の間の白物家電、最先端の半導体・IT機器に至るまで、日本という国家のインフラと人々の生活を丸ごと一人で支えていたのが、かつての東芝という巨大帝国だった。

日曜夕方の家庭の象徴と、愚直な団結力を描いた『ノーサイド・ゲーム』

日本人の日常において、東芝という名がどれほど深く刻み込まれていたかを物語る最大の象徴が、フジテレビ系列のアニメ『サザエさん』である。1969年の放送開始から2018年まで、同社は約半世紀にわたり単独提供スポンサーを務めた。「エネルギーとエレクトロニクスの東芝」というオープニングコールとともに日曜夕方に届けられたその名は、団らんの象徴であり、安心できる家庭の白物家電そのものを意味していた。

また、東芝の持つ企業風土と現場の結束力を象徴するのが、名門ラグビー部「東芝ブレイブルーパス(現・東芝ブレイブルーパス東京)」の存在である。池井戸潤の小説であり、大ヒットドラマとなった『ノーサイド・ゲーム』に登場する社会人ラグビーチーム「アストロズ」は、まさに府中事業所を本拠地とするこの東芝のラグビー部を色濃くモデルにしたものだった。

エリート主義に流されず、愚直に前へと押し込むフォワードの突進。重厚長大な工場現場で培われた職人たちの気質と、チームがグラウンドで見せる無骨なまでのパワーは完全に共鳴し、同社が抱える現場主義の誇りそのものとして長年愛されてきた。

白物家電からDynaBook、世界を変えたNANDフラッシュの覇権

東芝の凄みは、そうした親しみやすい家庭の顔と並行して、世界のIT市場を根底から塗り替える超絶的なイノベーションを次々と放っていた点にある。

1985年に世界初のラップトップPC「T1100」を開発し、その後の「DynaBook」シリーズによって、机の上に縛り付けられていたコンピュータを「持ち歩くもの」へと変貌させた。さらに特筆すべきは、同社の主任研究員であった舛岡富士雄らによって発明された「NAND型フラッシュメモリ」である。今やスマートフォン、PC、データセンターのサーバーに至るまで、世界中のデジタルストレージの主役となっているこの技術は、他ならぬ東芝の研究所から産声を上げた。

重電インフラを造り、冷蔵庫を売り、世界最先端のノートPCを開発し、メモリの世界規格まで自ら生み出す。あらゆる分野で技術の頂点を極めていた東芝は、間違いなく日本の誇る総合電機産業の最高到達点だった。

「チャレンジ」の暗転:粉飾決算と米原発事業の泥沼

しかし、全方位で無敵に見えた巨人の足元は、見えない場所から急速に腐敗していった。その破滅の決定打となったのが、2015年に発覚した大規模な不正会計問題である。

歴代社長の過度な業績至上主義のもと、「チャレンジ」という名の理不尽な必達目標が現場に課され、長年にわたって巨額の利益水増し(粉飾決算)が繰り返されていた事実が白日の下に晒された。日本を代表する名門企業が組織ぐるみで手を染めていた粉飾の手口は、国内外の市場に計り知れない衝撃を与え、築き上げてきた社会的信用は一瞬にして地に堕ちた。

さらに致命傷となったのが、巨額を投じて買収した米原発大手ウエスチングハウス(WH)の経営破綻だった。福島第一原発事故後の安全基準強化に伴う建設費用の高騰が直撃し、WHは数千億円規模の巨額損失を計上。2017年には債務超過に転落し、一時は上場廃止の瀬戸際にまで追い詰められるという、まさに国家的悲劇とも言える未曾有の転落劇を演じることとなった。

虎の子の売却と象徴の喪失:東芝メモリ放出と本社ビルのテナント落ち

上場廃止と企業解体の危機を脱するため、東芝が迫られたのは、自らの肉を削ぎ落とすような苦渋の選択の連続だった。白物家電事業は中国の美的集団(マイディア)に、テレビ事業(REGZA)は中国ハイセンスに売却され、かつての看板事業は次々とグループを去っていった。

そして2018年、債務超過を解消し生き残るための最終手段として放出したのが、同社最大の稼ぎ頭であり「虎の子」であった半導体メモリ部門(東芝メモリ、現キオクシア)だった。世界シェアを握り、将来の利益を生み出し続けるはずだった最強のエンジンを切り売りして、ようやく巨額の負債を穴埋めするという延命策。自ら生み出した世界最高峰の技術すら手放さざるを得なかった事実は、東芝が払った代償の重さを如実に物語っていた。

さらに、名門の落日を決定づけたのが不動産の切り売りである。かつて東芝の繁栄の象徴として東京湾岸にそびえ立っていた港区芝浦の自社ビル「東芝ビルディング(浜松町ビルディング)」は、経営難の中で売却された。自らの城であったビルを売却した東芝は、そこに「一介の賃貸テナント」として間借りする形となり、かつての主が居候へと転落する屈辱を味わった。その後、再開発計画に伴い長年親しんだ浜松町の地からも完全に退去を余儀なくされ、物言う株主との対立の末に非上場化へ至るなど、城も看板も失っていく苦難の道を歩むこととなった。

極限の現場を支えた技術屋の誇り:3.11原発事故で見せたエンジニアの奔走

経営陣の無謀な拡大路線と粉飾によって泥を塗られた東芝だが、現場で汗を流す技術者たちの誇りまでもが腐っていたわけではない。その凄まじい技術者魂が極限の形で証明されたのが、2011年3月11日の東日本大震災、東京電力福島第一原子力発電所事故だった。

未曾有の過酷事故に対し、沸騰水型原子炉(BWR)の主要メーカーであった東芝のエンジニアたちは、放射線量が極めて高い危険地帯へ躊躇なく飛び込んでいった。電源を失い冷却不能に陥ったプラントに対し、現地対策本部や被災現場で不眠不休の応急対応に奔走。冷却システムの再構築、電源車の接続支援、さらには高濃度汚染水を処理するためのセシウム吸着装置「SARRY(サリー)」の驚異的な短期間での開発・投入など、国家の危機を食い止めるために現場のエンジニアたちは命懸けで奮闘を続けた。

経営がどれほど迷走しようとも、過酷事故の最前線で原子炉と向き合い、廃炉という果てしない難題に今なお正面から挑み続けているのは、東芝の現場で育った本物の技術者たちである。この強い使命感と技術の厚みこそが、数字の帳尻合わせでは決して消し去ることのできない、東芝という会社の真の骨格だった。

一時期の勢いは失えど、国家の血管たる「電力事業」の絶対的プライド

家電はお茶の間から消え、PCもメモリも手放し、自社ビルすら失って日曜夕方の提供枠からも降りた。かつて日本列島を席巻した「総合電機の巨人」としての華々しい勢いは、確かに過去のものとなった。

だが、これで東芝が終わったと考えるのは早計に過ぎる。

東芝という企業の真の生命線は、創業期から連綿と受け継がれてきた重電インフラ、とりわけ電力事業の深奥にある。3.11の極限状態を支え抜いた原子力プラントの技術と廃炉への取り組み、火力発電用の高効率超大型タービン、水力発電システム、全国へ電気を滞りなく送り届ける変電所設備や送配電系統制御システム。これら国家の血流そのものを支える巨大インフラにおいて、東芝の技術力とシェアは今なお国内トップクラスであり、国家存亡の生命線を握り続けている。

どれだけ経営が揺らぎ、表舞台の看板が剥ぎ取られようとも、日本の夜の灯りを灯し続け、発電所を動かし、社会の心臓部に電力を供給し続ける現場の力だけは、決して揺らぐことはなかった。華やかな消費財の覇権を失った東芝は今、その原点である重厚なインフラの深奥において、誰にも真似できない本物の技術屋としての底力を静かに証明し続けている。

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