80年代後半のバンドブームが巻き起こした狂乱の中で、髪を垂直に逆立て、異形の華やかさを放ちながら突如としてシーンの真ん中に躍り出た5人組がいた。群馬県藤岡市が生んだ絶対的異端、BUCK-TICK(バクチク)だ。
ブームの波に乗って消費され、数年で姿を消していった凡百のビートロックバンドたちを尻目に、彼らはビートロックからダークなゴシック、さらには先鋭的なインダストリアルへと自らの音楽性を冷徹なまでに越境・進化させ続けた。
不動の5人で35年以上にわたり築き上げてきた唯一無二の様式美。そしてフロントマン・櫻井敦司のあまりに突然の喪失。痛みを抱えながらも歩みを止めない彼らの「美学の構造」を、俺様の視点から解剖してやる。
群馬の土壌が産み落とした「3B」の血統
日本のロック史において、群馬県という土地は特異な磁場を持っている。いわゆる「群馬3B」——BOØWY、BUCK-TICK、back number。時代ごとにロックの金字塔を打ち立ててきたこの系譜の真ん中に位置するのがBUCK-TICKだ。
彼らの原点には、常に郷土の絶対的カリスマであるBOØWYの巨大な背中があった。特に櫻井敦司は、BOØWYのフロントマン・氷室京介と同じ群馬県立藤岡高等学校の出身。学年は氷室が5学年上だったが、同じ校舎の空気を吸った先輩が全国の音楽シーンを塗り替えていく光景は、地方都市でくすぶっていた少年たちの導火線に火をつけるには十分すぎる刺激だった。
BOØWYが新宿ロフトや渋公を熱狂させていた頃、高崎の新星堂で行われたインストアのミニライブ。そのフロアの片隅で、憧れの眼差しでステージを見つめていたのが、のちに稀代の異端コンポーザーとなる高校生・今井寿だったというエピソードは、群馬のロック神話における美しきプロローグだ。
下記の貴重な記録映像を見てほしい。BOØWYが至近距離で熱狂的なギグを繰り広げる中、オーディエンスの中にまだ何者でもなかった若き日の「今井少年」の姿がはっきりと捉えられている。群馬の片田舎のレコード店で、伝説が次の伝説へと火を灯した決定的瞬間だ。
ステージ上のカリスマに釘付けになっていたこの少年が、わずか数年後に自らも髪を逆立て、同じく日本中を揺るがすモンスターバンドのブレインになるとは、現場の誰も予想していなかったに違いない。
「お前は顔が良いんだから」:ドラムからフロントマンへの転換
結成当初、櫻井敦司はボーカリストではなく、バンドの奥でドラムを叩いていた。当時のボーカルは別のメンバーであり、櫻井自身も自分がステージの最前線に立つ器だとは自覚していなかった。
だが、その圧倒的な造形美と底知れぬ眼光を放つ男が、ただドラムセットの影に隠れていることを運命が許すはずもなかった。上京後、先輩である氷室京介にバンドの相談を持ちかけた際、氷室から「お前は顔が良いんだから、絶対にボーカルをやれ」と背中を押されたことはあまりにも有名な話だ。
ドラムスティックを捨て、マイクスタンドを握った瞬間、ロック界に類を見ない「魔王」が覚醒した。低く艶やかなバリトンボイス、狂気とエロティシズムを纏ったステージング。氷室の慧眼が見抜いた「フロントマンとしての絶対的華」は、BUCK-TICKという艦を異次元の領域へ押し上げる決定的な推進力となった。
ビートルズに着想を得た「左右対称の美学」:今井寿という異能の設計図
櫻井が漆黒の美を体現する一方で、バンドの頭脳として特異なサウンドスケープを構築し続けたのがギターの今井寿だ。
彼の常軌を逸した美意識を象徴するのが、ギターの構え方だ。本来は右利きであるにもかかわらず、「ステージで立って弾いた時、レフティ(左利き)の方が絶対に見た目がカッコいい」というビジュアル至上主義の理由だけで、わざわざ左利き用のギターを選んで練習を始めた。
その根底にあったのは、ザ・ビートルズから得たインスピレーションだ。右利きのジョージ・ハリスンやジョン・レノンに対し、左利きのポール・マッカートニーが並び立つことで生まれる「ステージ上の左右対称(シンメトリー)の美学」。センターのボーカルを挟んでギタリスト同士が並んだ際、ネックが外側へと広がる完璧な視覚的バランスを構築するために、あえて過酷な左利き演奏の道を選んだのだ。
普通、楽器の演奏性や上達スピードを考えれば右利き用のまま練習した方が圧倒的に合理的だ。だが今井にとってのロックとは、既存のコード進行を綺麗になぞることではなく、「ステージ上でどう異様で美しくあるか」というアートフォームそのものだった。
この「定石を平気で踏み外すスタンス」こそが、のちにノイズやサンプラー、テクノ、インダストリアルといった前衛的な音響要素を臆面もなくポップソングに衝突させる、BUCK-TICK特有のアヴァンギャルドなコンポジションへと結実していく。
越境し続ける音楽性:ビートロックの檻を破って
デビュー当初のBUCK-TICKは、『JUST ONE MORE KISS』に代表されるキャッチーなビートロックで一世を風靡した。だが、彼らは自らが手に入れた成功のフォーマットに安住することを激しく拒絶した。
90年代に入ると、アルバム『悪の華』や『狂った太陽』で、死や退廃をテーマにした濃厚な「ゴシック」の世界観へと深く沈降していく。さらに中盤以降は、マリリン・マンソンやナイン・インチ・ネイルズといった海外の潮流とも共鳴するように、金属的なビートと重低音が唸る「インダストリアル・ロック」へと越境を果たした。
世間のライト層が「髪を立てていたヴィジュアル系の元祖」という表層的な記号で彼らを見ていた間、彼らのサウンドボードの裏側では、極めて実験的で硬質なオルタナティブ・ロックの解体と再構築が繰り返されていたのだ。流行の波に流されるのではなく、自らの内なる美学をアップデートし続けた結果、彼らは「ヴィジュアル系」という枠組みすら飛び越え、「BUCK-TICKという唯一無二のジャンル」を確立した。
櫻井敦司の急逝、そして残された4人が選んだ「前進」
2023年10月19日。KT Zepp Yokohamaのステージ上で突如異変を訴え、そのまま脳幹出血により息を引き取った櫻井敦司。享年57。
ライブの現場で最後まで歌い、そのまま夜の闇へと消え去っていったその最期は、あまりにもドラマチックであり、同時に残された世界にとっては受け入れ難い痛恨の喪失だった。メンバーチェンジを一度も経験せず、35年以上にわたって同じ5人で歩み続けてきた「完全な生命体」から、心臓であり顔であったフロントマンが永遠に失われたのだ。
多くのバンドであれば、解散や無期限活動休止を選んでも誰も責めない。しかし、今井寿、星野英彦、樋口豊、ヤガミトールの4人が出した答えは「バンドを止めない」ことだった。
「BUCK-TICKを続ける」。その決断は、かつて櫻井敦司と共に交わした約束であり、5人で作り上げてきた美学の砦を、死によって風化させないという強烈な意地の表れだ。ボーカルの席を空けたまま、あるいは新たな表現の形態を模索しながらでも、彼らは音を鳴らし続けることを選んだ。
バツイチになり、人生の不可逆な喪失や予期せぬ破綻の痛みを骨身にしみて知っている俺様にとって、大切なピースをもぎ取られてなおステージに立ち続ける男たちの姿は、もはや単なる音楽を超えた「生き様」そのものに見える。
傷だらけのまま、それでも漆黒の旗を掲げて前進するBUCK-TICK。彼らの鳴らす音は、これからも時代に迎合しないすべての孤独な魂を、暗闇の底から照らし続けるのだ。

