キッチンの三角コーナーを叩き割り、排水管の奥に眠る前住人のヘドロを焼き尽くした後に目を向けるべきは、日々の疲れを癒やすはずの空間――そう、風呂場である。
一人暮らしの賃貸マンションやユニットバスの扉を開けてみてほしい。洗い場の床に、鎮座しているものはないだろうか。白やパステルカラーのプラスチック製の「風呂用の椅子(バスチェア)」、そしてその横に転がっている「洗面器(湯桶)」だ。
今すぐそれらを掴み、ゴミ袋へ叩き込め。キッチンの三角コーナーと同じく、それらは風呂場に必要な設備などでは断じてない。「ヌメリとピンクカビと水垢を培養するためだけに置かれた無駄なプラスチックの塊」であり、思考停止した生活習慣が生み出した第二の負債だ。
実家の広い浴室で親が使っていたから、ホームセンターの「新生活応援コーナー」にお風呂セットとして並んでいたから。そんな曖昧な理由で買い揃え、狭小な浴室の床面積を自ら削り取っている。その行為自体が、エンジニアリング的にも空間管理上も致命的なエラーであることに気づくべきだ。
そもそも座って体を洗う愚行――シャワーがある時代に何をしているのか
冷静に自分の入浴行動をトレースしてみてほしい。成人男性が、わざわざ低いプラスチックの椅子に腰掛け、背中を丸めながら体を洗う合理的な理由がどこにあるのか。温泉旅館の大浴場ならまだしも、四方を壁に囲まれた狭い自宅の洗い場で、ちょこんと座ってちまちまと体を洗う姿は滑稽ですらある。
立ち上がれ。人間は二足歩行の生物だ。立ったままシャワーを浴び、立ったまま頭を洗い、立ったままボディソープを泡立てて全身を一気に洗い流す。ただそれだけで何の問題があるというのか。
立つことによって頭部から足元までの高低差が生まれ、シャワーの水流と重力が最も効率的に泡と汚れを下へ下へと押し流してくれる。座っている時のような不自然な前傾姿勢も不要になり、全身の洗浄動線が一直線に完結する。一度でもスタンディングで全身を洗い流す爽快さとスピード感を味わえば、「なぜ今まで自分はあんな狭苦しい椅子に座ってモタモタしていたのか」と己の過去を呪うことになるはずだ。
洗面器で湯船の湯を汲む非効率――シャワーの温水レバーをひねれ
洗面器に至っては、もはや現代の浴室において存在価値そのものが完全に消滅している。そもそも洗面器とは何のためにあるのか。湯船のお湯をザバッと汲み出し、体にかけたり泡を流したりするための道具だ。だが、給湯器が完備され、手元に水圧調整可能なシャワーヘッドがある現代において、なぜわざわざ腰をかがめて湯船のお湯をプラスチックの桶で掬わなければならないのか。
湯船のお湯で髪や体を流せば、せっかく湯船に溶け出た垢や浮遊物を再び自分の頭皮にかけることになる。衛生面でも最悪だ。手元のレバーひとつで設定温度通りの清浄な温水が無限に供給されるシャワーがあるのに、わざわざ手動で汲み出す作業を挟むのは、完全な手間の重複でありプロセスの浪費に他ならない。
洗顔にしても同様だ。洗面器にぬるま湯を溜めて顔をつけるなどという儀式は不要。手のひらにシャワーのぬるま湯を受け止めて流すか、シャワーの水圧を弱めて直接洗い流せば3秒で済む。洗面器という中継地点を噛ませるメリットは、この世に1ミリも存在しない。
椅子と洗面器は「汚れるために存在する」――掃除面積を最小化せよ
風呂用椅子と洗面器を即座に破棄すべき最大の理由は、それら自体が「最も汚れやすく、かつ最も掃除しにくい厄介なオブジェクト」だからだ。
椅子の裏側をひっくり返して見たことがあるだろうか。補強のために複雑に入り組んだプラスチックのリブ(骨組み)、床と接するゴム足の隙間。そこには、石鹸カスと皮脂汚れを栄養源にして繁殖した真っ黒なカビと、ピンク色の酵母菌がビッシリとこびりついているはずだ。洗面器の底面やフチの折り返しも同じだ。水道水のカルシウムが固着した白いウロコ状の水垢が層を成し、スポンジで擦った程度ではビクともしない。
浴室を清潔に保つための鉄則は、「掃除の邪魔になる床置きの備品をゼロにし、掃除面積を最小化すること」である。椅子と洗面器という2大汚染源を撤去した瞬間、何が起きるか。洗い場の床には何一つ遮るものがなくなり、完全にフラットな平面へと変わる。入浴後に床全体をシャワーでサッと流し、気が向いた時にブラシでシャシャッと床を擦るだけで、カビの発生源そのものが消滅する。複雑な椅子の脚の裏側を、息を止めながらカビ取りスプレーと歯ブラシでチマチマ擦るあの不毛な作業から、永遠に解放されるのだ。
捨てて数年、何一つ困ったことはない――快適さは「引き算」で作れ
「でも、椅子がないと疲れるんじゃないか」「洗面器がないと不便じゃないか」と不安がる声が聞こえてきそうだ。
断言する。俺様はこの「椅子なし・洗面器なし」のスタンディング浴場生活を何年も続けているが、日常生活において何一つ困ったことなどない。それどころか、入浴にかかる時間は劇的に短縮され、風呂掃除の手間は従来の10分の1以下になり、カビ取り剤を買いに走る頻度もゼロになった。得られたのは広々とした足元と、圧倒的な日々の時短、そして清潔な空間だけだ。
人間は、一度手に入れた便利そうに見える道具を「あって当たり前」だと思い込み、それを維持管理するための無駄な労力を払い続ける。だが、本当の生活の最適化とは、便利なモノを買い足すことではなく、無駄なモノを削ぎ落とす「引き算」によって達成されるのだ。
狭い浴室を恨む前に、まずはその床に転がっているヌメリまみれの椅子と洗面器をゴミ袋に放り込め。何もない広々とした洗い場に立ち、頭上から降り注ぐシャワーを浴びた瞬間、お前は昭和の風呂場の呪縛から解き放たれ、真の快適さを知ることになるのである。

