瀬戸大橋を渡って高松の連絡船マネーに触れ、松山城をリフトで攻めて三番町の要塞に呑み込まれた俺様は、四国遠征の総仕上げとして南へ舵を切った。目指すは太平洋の荒波が打ち寄せる南嶺の地、高知である。
高知と聞いて、誰もが真っ先に思い浮かべるのは幕末の風雲児・坂本龍馬だろう。桂浜の断崖に立ち、太平洋の彼方を見据えるあの巨大な銅像の前に立つと、なぜこの僻遠の地から日本を丸ごと洗濯しようとするような規格外の男が生まれたのか、理屈抜きで腑に落ちる。目の前に広がるのは、瀬戸内海の穏やかな多島美とは対極の、水平線が丸く湾曲して見えるほどの獰猛な大洋だ。背後には険しい四国山地が立ち塞がり、陸路では本州と隔絶されていたからこそ、土佐の人間は最初から「外の海」を見ていた。
そして、手つかずの原生林を縫うように流れる日本最後の清流・四万十川の圧倒的な自然。沈下橋の上に立つと、川底の砂利の一つひとつまで透けて見える清冽な水と、山を渡る青い風が五臓六腑を洗い流してくれる。龍馬が駆け抜け、四万十が潤す――そんなダイナミックな大自然のイメージこそが土佐の代名詞だ。
だが、山越えの高速道路を降りて高知の市街地に滑り込んだ瞬間、松山の時と同じように、俺様はまたしても良い意味で先入観を裏切られることになった。「おいおい、高知ってこんなに都会だったのかよ」と。
優美なる南海の名城――追手門と天守を一度に拝む高知城の美学
市街地の中央へ足を踏み入れると、高松や松山に決して引けを取らない近代的な街並みが広がっている。ヤシの木が揺れる南国情緒漂う目抜き通りを、レトロな「とさでん」の路面電車がガタゴトと車とすれ違いながら走り抜ける。メガバンクの支店や地元有力地銀、重厚なビル群が連なり、ここが過酷な自然の只中に築かれた四国南岸の揺るぎない政治・経済の首都であることを無言のうちに誇示している。
そんな大通りの突き当たりに、忽然と姿を現すのが現存十二天守の一つ、高知城だ。松山城がリフトで空中散歩しなければ辿り着けない険しい「山上の要塞」だったとすれば、この高知城は息を呑むほどに端正で美しい「芸術品のような名城」である。
何と言っても素晴らしいのが、大手門である「追手門」をくぐる際のアングルだ。追手門越しに見上げると、その真正面の遥か頭上に、優美な天守閣がまるで計算し尽くされた額縁の絵のように重なって視界に飛び込んでくる。門と天守がこれほど完璧な構図で同時に現存している城は、日本全国を探してもここ高知城をおいて他にない。
山内一豊が心血を注いで築いたこの城は、無駄なトゲトゲしさを削ぎ落とした気品に満ちており、本丸御殿まで綺麗に残されている。天守の廻縁(バルコニー)に出て街を見下ろせば、北の山並みから南の海へと続く高知平野の風が吹き抜け、この城下町が歩んできた何百年もの歴史の重みが肌に染み渡ってくる。
日曜市の喧騒から、昼酒の聖地・ひろめ市場へ
高知城の追手門から東へ向かってまっすぐに伸びる大通り――それが「追手筋(おうてすじ)」だ。ここは言わずと知れた、江戸時代から300年以上続く日本最大級の青空市場「日曜市」の舞台である。日曜の朝になると、1キロ以上にわたる大通りの片側が完全に封鎖され、数百軒の露店がずらりと並ぶ。採れたての野菜や果物、名物の芋けんぴ、土佐刃物に田舎寿司。地元のおばちゃんたちの威勢の良い土佐弁が飛び交い、観光客と地元民がごった返すそのエネルギーは、まさに街全体が呼吸しているかのような活気に満ちている。
だが、この追手筋の真の恐ろしさは、日曜市そのものではない。そのすぐ脇にある巨大な屋台村「ひろめ市場」へ一歩足を踏み入れた瞬間に、土佐という土地の「常軌を逸した酒文化」の洗礼を受けることになるのだ。
まだ午前中だというのに、館内はすでに満席。藁焼きの炎でパチパチと音を立てるカツオのタタキを皿いっぱいに盛り、ニンニクスライスをこれでもかと乗せた男たちが、真昼間から大ジョッキのビールや日本酒の徳利をバンバン空けている。老いも若きも、背広組も観光客も関係ない。目が合えば「にいちゃん、どっから来た? 一杯飲めや」と平気で酒を注ぎ合っている。昼から呑むのが例外ではなく、もはやこの街の「基本仕様(デフォルト)」なのだ。
追手筋の裏側に潜む昭和の迷宮――「55番街」の泥酔グラビティ
だが、ひろめ市場のオープンな昼酒など、土佐の酒カルチャーにおいてはほんの準備運動、前哨戦に過ぎない。夕暮れが迫り、追手筋を照らしていた太陽が沈んでネオンが灯り始めた頃、俺様は追手筋の北側に広がる路地裏へと足を踏み入れた。目指すは、高知の夜の最深部――「55番街(ごじゅうごばんがい)」である。
近代的なビルが並ぶ大通りから、看板をくぐってその狭い路地に滑り込んだ瞬間、俺様はあまりの昭和レトロな異世界感に息を呑んだ。昭和30年代にタイムスリップしたかのような、人がすれ違うのがやっとの極細の路地。頭上を無数に走る電線と、所狭しと密集するトタンや木造の古びた長屋長屋。その壁面を、赤や黄色のスナックや居酒屋の看板が隙間なく埋め尽くしている。
高松の古馬場町が「連絡船の哀愁漂う大スナック街」であり、松山の三番町が「企業戦士を呑み込む整然とした夜の要塞」だったとするなら、ここ高知の55番街は「人間の生々しい体温と酒の匂いが凝縮されたブラックホール」だ。一度足を踏み入れたら最後、強烈な重力で朝まで吸い寄せられて抜け出せなくなる、泥酔者たちの吹き溜まりである。
「返杯」と「べく杯」――夜が明けるまで終わらない土佐の宴
小さなスナックの引き戸を開け、年季の入ったカウンターの端に腰を下ろす。注文した皿鉢(さわち)料理の小鉢をつつきながら地酒の「司牡丹」をクイッとやっていると、隣の席で飲んでいた地元のおっさんが早速話しかけてくる。「兄ちゃん、本州からかい? 土佐の酒はこうやって飲むがぜよ」と。
そう言って差し出される盃。これが、土佐名物の「返杯(へんぱい)」の洗礼だ。相手から受け取った盃を一気に飲み干し、間髪入れずに相手へ返して酒を注ぎ返す。これをエンドレスで繰り返す。さらに奥の座敷からは、穴が空いていて指で塞がないと酒が漏れる「べく杯」や、コマを回して負けたやつが巨大な天狗の盃で一気飲みするゲームの歓声が響いてくる。
ここでは「適量で切り上げる」などという軟弱な概念は通用しない。酒は酔うために飲むものであり、人と腹を割って徹底的に混ざり合うための潤滑油なのだ。夜が更けるにつれて、見ず知らずの客同士が肩を組み、カウンター越しにママが豪快に笑い、気がつけば日付などとっくに越えて東の空が白み始めている。
荒波と名城が育んだ、四国で最も熱い夜の懐
坂本龍馬を大海原へと駆り立てた雄大な太平洋。最後の清流・四万十川が育んできた悠久の自然。そして、計算され尽くした美しさを誇る高知城と、想像以上に発展した近代的な街並み。
高知という街は、圧倒的な歴史と自然のスケール感を持ちながら、その夜の懐には、日本で最も情に厚く、最も陽気で、そして最も豪快に酒を呑み明かす泥酔カルチャーを抱え込んでいる。
酒を愛し、人を愛し、夜が明けるまで笑い飛ばす――。追手筋の裏、55番街の薄暗い路地を千鳥足で歩きながら、夜風を吸い込んだ俺様は、この南国の街が持つ底知れぬ生命力と人情の深さに、完全にノックアウトされていたのである。

