愛媛・松山「三番町・八坂」:道後温泉の裏側で官公庁と四国の企業戦士を呑み込んできた夜の要塞

Midnight Report
スポンサーリンク

高松の古馬場町で、宇高連絡船マネーが育て上げた昭和スナック街の重厚な残り香に浸り、角の立った讃岐うどんを胃袋に流し込んだ俺様は、愛車のアクセルを踏み込んでさらに西へと針路を取った。目指すは愛媛・松山。四国最大の人口を誇る城下町にして、古くから独自の経済圏を確立してきた伊予の国の中枢である。

そもそも今回の遠征の起点となった瀬戸大橋そのものが、俺様の脳裏に強烈なインパクトを焼き付けて離さない。車を走らせて本州側の児島からあの巨大なトラス橋に突入した瞬間、フロントガラス一面に広がった瀬戸内海の多島美には、普段どれほど斜に構えてクールを気取っている俺様であっても、思わずハンドルを握る手を緩めて息を呑んだ。

鏡のように穏やかに凪いだ紺碧の海、そこにポコポコと浮かぶ緑豊かな島々、白い航跡を一本の糸のように引きながら進む小さな漁船、そして遥か彼方に青く霞む四国山地の稜線。あれが時速80キロで駆け抜ける有料高速道路ではなく、信号のあるただの一般道だったなら、俺様は迷わず路肩にハザードを焚いて車を止め、欄干に肘をついて缶コーヒーを飲みながら、半日ぼんやりと潮風を浴びて海を眺め続けていただろう。それほどまでに圧倒的な多島美のスケールに叩きのめされながら、俺様は松山自動車道を一路西へとひた走ったのだ。

松山城攻めの洗礼――山の上に聳える天守と、まさかの「リフト」登城

松山インターを降り、市街地へ乗り込んだ俺様が真っ先に向かったのは、街のど真ん中に堂々と鎮座する松山城だ。男たるもの、由緒ある城下町を訪れたからには、まず何をおいても「城攻め」を敢行してその街の地勢と歴史を肌で理解するのが礼儀というものだろう。

ところが、城の麓であるロープウェイ街までやってきて見上げた瞬間、俺様は思わず「おいおい、冗談だろ……」と呟いた。街の真ん中にドカンと聳え立つ標高132メートルの勝山。その険しい山頂部分に、白亜の天守閣と幾重にも重なる石垣がまるで要塞のようにそびえ立っているのだ。平山城などという生易しいものではない。下から見上げる威容は完全にガチの「山城」である。真夏や日差しの強い日に、あそこまで徒歩で登城ルートを歩いて登るなどという無謀な体力勝負を挑めば、天守に着く前に討ち死に(熱中症)確実だ。

だが、そこは四国屈指の観光都市である。ちゃんと近代文明の救済措置が用意されていた。山麓駅へ向かうと、ゴンドラ式のロープウェイのすぐ横に、一人乗りの「スキー場にあるようなリフト」が並んで稼働しているのだ。俺様はもちろん迷わずリフトの改札をくぐった。安全ベルトもバーすらもない、剥き出しの小さな椅子にちょこんと腰掛け、足をブラブラと投げ出して山肌を登っていく。吹き抜ける山の風を全身に浴び、眼下に広がる木々の緑を眺めながらの空中散歩。城攻めという物々しい戦国絵巻の気合いで乗り込んだはずが、やってることは完全に昭和の遊園地のアトラクションである。この肩の力が抜けるような脱力感と心地よいスリルが、たまらなく痛快で面白い。

リフトを降り、幾重にも折れ曲がる頑強な門と石垣を突破して辿り着いた本丸広場からの眺望は、まさに圧巻の一言だった。眼下に広がる碁盤の目のような松山の街並み、遠くに湯煙を上げる道後の山裾、そして西側には伊予灘の穏やかな青い水平線がキラキラと光っている。「なるほど、加藤嘉明がこの天然の要塞に目をつけ、ここに城を築いた理由がよく分かる」と、俺様は城主気取りで腕を組み、吹き抜ける風を浴びながら松山平野を見下ろしていた。

まるで広島や岡山――四国のステレオタイプを粉砕する重厚なビジネス街

山から再びリフトに揺られて下山し、大街道や銀天街といった長大なアーケード街、そして愛媛県庁や裁判所が立ち並ぶ中心街へと足を運んだ時、俺様は二度目の強烈なカルチャーショックを受けることになった。「おい待て、ここ本当に四国か?」

伊予鉄道の路面電車がガタゴトと響きを立てて広い通りを走り抜け、大通り沿いにはメガバンクの巨大な支店ビル、大手生命保険・損害保険会社の看板、そして重厚なガラス張りのオフィスビルがどこまでもズラリと立ち並んでいるのだ。歩道を歩くビジネスマンたちのスーツの着こなしはビシッと引き締まり、手提げカバンを抱えて歩くスピードも大都市のそれと何ら変わらない。

この街に漂う空気感は、瀬戸内海を挟んだ対岸の大都市・広島や、山陽の拠点である岡山のオフィス街のそれと極めて酷似している。のんびりとした南国の長閑な地方都市というステレオタイプは完全に吹き飛んだ。愛媛県は古くから東予を中心に製紙・パルプ、造船、化学工業といった巨大な重化学工業を抱え、伊予商人の合理的なDNAが息づくものづくり大国だ。その莫大な富と企業活動の中枢機能が一極集中しているのが、この松山という都市なのだ。本州の大手企業が四国へ実動部隊を展開する際、高松と並んで、あるいはそれ以上に最前線の拠点を置く理由が、街の空気の張り詰め方から痛いほど伝わってくる。

道後温泉の極楽から、夜の要塞「三番町・八坂」へ突撃

夕暮れ時を迎え、昼間の城攻めと車の運転でバキバキになった体を癒やすべく、俺様は市街地を東へ抜けて道後温泉へと向かった。千年の歴史を誇る名湯、道後温泉本館。重厚な木造三層楼の威容を眺めながら、湯船に肩までじっくりと浸かる。熱めの滑らかな湯が肌を包み込み、蓄積した疲労が毛穴から一気に溶け出していく感覚は筆舌に尽くしがたい。風呂上がりに浴衣姿で涼む観光客たち、カラクリ時計の前で記念写真を撮る人々の笑顔。文豪・夏目漱石や正岡子規が愛したのも頷ける、絵に描いたような温泉情緒の完成形がそこにある。

だが、道後の極楽湯で汗を流してサッパリした俺様が向かう先は、温泉街の穏やかな居酒屋などではない。「昼間にあれだけネクタイを締めた企業戦士たちが闊歩していたビジネス街だ。夜の受け皿がショボいわけがない」――そう確信した俺様は、夜の帳が下りる頃、大街道のアーケードを東へと抜けた。目指すは、松山が誇る夜の巨大要塞――「三番町」、そして「八坂通り」エリアである。

路地に足を踏み入れた瞬間、目の前に広がった光景に、俺様は思わずニヤリと口角を上げた。視界を埋め尽くす見渡す限りの雑居ビルの群れ、そして夜空を毒々しくも華やかに染め上げる無数のネオンサインの海。スナック、クラブ、ラウンジ、小料理屋、割烹、オーセンティックバー、居酒屋が、碁盤の目のストリートに幾重にも折り重なってひしめき合っている。高松の古馬場町が醸し出していた昭和連絡船の哀愁漂う迷宮感とはまた一味違う、完全に「大都市の企業戦士とエリート官僚を呑み込んできた重厚な都市型歓楽街」としての圧倒的な密度とスケールがそこには広がっていた。

企業戦士たちを呑み込んできた夜の街で杯を傾ける

なぜ松山にこれほど巨大な夜の街が成立したのか。その答えは極めて明白だ。道後温泉に宿泊する一見の観光客ではない。県庁や市役所、国の出先機関を巻き込む官公庁のエリートたち、そして四国全土を駆け回る大手企業の猛者や地元企業の重役たちが、連日連夜この街に莫大な交際費と情熱を注ぎ込んできたからだ。商談の延長線上にある接待、大型プロジェクトの打ち上げ、密談、そして日々の激務から自らを解放するためのガス抜き。男たちの野心と孤独を受け止め続けてきたからこそ、この街の店には一流の酒と料理、そして客のプライドを優しく包み込む洗練された包容力が培われてきたのだ。

雑居ビルの階段を上がり、小さな居酒屋の暖簾をくぐってカウンターの端に陣取った俺様は、揚げたて熱々の名物じゃこ天をかじり、キンと冷えた地酒を喉へと流し込んだ。すりガラスの向こうから漏れ聞こえてくるカラオケの重低音と、スーツ姿の男たちが交わす商談成立の乾杯の声。

瀬戸大橋の絶景に息を呑み、リフトに乗って山城を攻め、広島・岡山顔負けのオフィス街に圧倒され、道後の名湯で汗を流し、そして夜は三番町のネオンの海に深く沈んでいく。

松山という街の本当の深みと魅力は、観光ガイドの綺麗な写真だけに載っている「文学と温泉」だけじゃない。この峻厳な歴史と、泥臭いビジネスと、夜の猥雑さが渾然一体となった底知れぬバイタリティにこそある。氷の溶ける音を耳で楽しみながら、俺様は松山の濃密で熱い夜を全身で噛み締めていた。

タイトルとURLをコピーしました