山梨・甲府「裏春日」:甲府盆地の中心に孤立する大規模ソープ街とワイン王国の夜の顔

Midnight Report
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新宿駅から中央線の特急「あずさ」に揺られること約1時間半。笹子トンネルを貫通して勝沼の急勾配を一気に駆け下りると、眼下には四方を険しい山脈に囲まれた広大な甲府盆地が姿を現す。武田信玄の時代から甲州の中心地として威容を誇り、甲州街道の重要な宿場町として物資と人を集めてきた山梨県甲府市。周囲を南アルプス、八ヶ岳、御坂山地といった険峰に遮断されたこの閉鎖的な盆地地形と特異な気候は、豊かな食や酒の文化を醸成する一方で、都市の深奥部に異様な夜の生態系を沈殿させてきた。

昼間の街が放つのは、どこまでも健康的で、風光明媚で、文化的な観光拠点としての顔だ。しかし、夜の帳が下りたとき、その清潔な表層の真裏から立ち現れるのは、盆地の中心部にぽっかりと浮かび上がる巨大な歓楽のブラックホールである。洗練されたリゾートイメージと、その足元に澱のように沈む濃密な色街。その鮮烈な二面性の象徴こそが、甲府駅からほど近い一画に鎮座する「裏春日(うらかすが)」である。

甲府盆地が生んだ土壌:ワイン用ぶどう栽培に適した特異な地形

甲府の歴史と産業を語る上で、日本一の収穫量を誇るぶどうと、そこから紡ぎ出される日本ワインの存在を避けて通ることはできない。

四方を高い山々に囲まれた甲府盆地は、日本海側や太平洋側から流れ込む雨雲が山脈にことごとく遮られるため、年間の降水量が極めて少なく、日照時間は全国でも屈指の長さを誇る。さらに、夏場のフェーン現象がもたらす猛烈な日中の暑さと、夜間に山から吹き降ろす冷気による極端な寒暖差。そして何よりも、周囲の山々から押し出された河川が幾重にも重なって形成した複合扇状地が、驚異的な水はけの良さを誇る砂礫質土壌を作り出した。

これらは主食である米の栽培にとっては過酷極まりない環境であったが、果樹、とりわけぶどうの栽培にとっては日本で最も適した奇跡的なテロワール(生育環境)となった。

明治維新以降、新政府の殖産興業政策とともに勝沼や甲府の周辺で始まった本格的なワイン造りは、幾多の失敗と品種改良の歴史を重ねて結実した。固有品種「甲州」や「マスカット・ベーリーA」をはじめとするワインは、現在では国内外の著名なコンクールで数々の賞を獲得し、世界基準の美酒として揺るぎない評価を獲得している。秋の収穫期になれば、盆地の斜面一面に整然と広がるぶどう棚がたわわな実を実らせ、週末ごとに洗練されたワイナリー巡りを楽しむ観光客が首都圏から大挙して押し寄せる。甲府盆地の大地は、まさに豊かな大自然の恵みと、洗練された食文化のシンボルとして消費されている。

水と森の恩恵:ウイスキー世界5大産地としての山梨

甲府盆地を取り囲む大自然の恩恵は、ぶどうとワインの領域だけに留まらない。盆地の外郭を形成する南アルプスや八ヶ岳の鬱蒼とした原生林は、降り注いだ雨や雪解け水を数十年の歳月をかけて花崗岩層の奥深くへと浸透させ、不純物の極めて少ない清冽な軟水の伏流水を生み出し続けている。

この比類なき水環境に着目したのが、日本の洋酒産業のパイオニアたちであった。スコットランド、アイルランド、アメリカ、カナダと並び「世界5大ウイスキー」の一角に堂々と数えられるジャパニーズ・ウイスキー。その中核を担う生産拠点として、南アルプスの麓に位置するサントリー白州蒸留所をはじめ、この山梨の地は世界中のウイスキー愛好家から熱烈な視線を注がれる聖地となった。

年間を通じて冷涼な気候、鬱蒼とした深い森が湛える澄んだ大気、そして何物にも代えがたい極上の仕込み水。それらの要素が木樽の中で眠る原酒を静かに熟成させ、世界最高峰のシングルモルトへと昇華させていく。甲府周辺の自然環境は、ワインのみならずウイスキーにおいても「世界水準のピュアな酒を生み出す大地」として、確固たるブランドイメージを確立している。

『駒田蒸留所へようこそ』の舞台ではない皮肉

ここでひとつの興味深い地理的ギャップが浮かび上がる。崖っぷちのクラフトウイスキー蒸留所の立て直しに奔走する若き女性社長と蒸留所の再生劇を描いたアニメーション映画『駒田蒸留所へようこそ』だ。

劇中に登場する雄大な山並み、澄み渡る空気、深い森の懐にひっそりと佇む木造蒸留所のロケーションを目にした観客の多くは、「これぞ山梨のウイスキー蒸留所の風景だ」と直感的に重ね合わせた。中央線の特急に乗って甲府盆地へと向かうウイスキーファンの中にも、車窓を流れる山梨の山野や森のたたずまいに、作品の息吹を幻視した者が少なくない。

しかし、この作品の蒸留所のメインモデルとなったのは、実際には北陸・富山県砺波市に蔵を構える若鶴酒造の「三郎丸蒸留所」である。

甲府や山梨の地がこれほどまでに強固な「ウイスキーの故郷」としての記号性を持ちながら、現代のジャパニーズ・ウイスキーの復興と職人魂を象徴する作品の直接の舞台ではなかったという事実。それはある種の皮肉めいた地理的ギャップを感じさせる。だが同時に、モデル地ですらない場所を「あそこだ」と人々に思い込ませてしまうほど、山梨の自然環境とウイスキーのパブリックイメージが、大衆の脳裏に完璧に定着していることの証左でもある。

首都圏の裏庭:夏の避暑地と冬のスキーのメッカ

甲府盆地とその周辺の山岳地帯は、首都圏から中央道やJR中央線でわずか2時間足らずで到達できる、一大アウトドア・リゾートのゲートウェイとしても長年機能し続けてきた。

真夏になれば、盆地の底に熱気がこもり灼熱地獄と化す甲府を抜け出し、人々は背後に広がる清里高原や八ヶ岳山麓の冷涼なリゾート地へと車を走らせる。かつて1980年代のバブル期に「高原の原宿」と呼ばれ、ファンシーなペンションやブティックが乱立して社会現象となった清里の熱狂は一段落したものの、現在でも落ち着いた高原の避暑地として首都圏からのファミリーや別荘族を迎え入れている。

一方、冬が訪れれば、盆地を取り囲む山々の急斜面は首都圏から最も身近なスノーゲレンデへと姿を変える。人工降雪機を駆使したスキー場や本格的なバックカントリーのフィールドが点在し、中央道を行き交うスキーヤーやスノーボーダーで毎週末の交通が埋め尽くされる。

四季を通じて大自然のアクティビティを楽しみ、澄み切った空気の中で地場のワインやウイスキーに酔いしれ、名物の甲州牛やほうとうを味わう。昼間の甲府が放つパブリックイメージは、どこまでも健康的で、清潔で、洗練された高原観光圏そのものである。

甲府盆地の中心に孤立する大規模ソープ街「裏春日」

しかし、そうした爽快で清潔な表の顔をすべて脱ぎ捨てたとき、甲府の心臓部に姿を現すのが「裏春日」という名の巨大な夜の特区だ。

甲府駅から南へまっすぐ伸びる平和通りを抜け、かつての中心繁華街である「春日あらいモール(春日通り)」のアーケード街を横道に折れた瞬間、街の空気の粘度がまるで変わる。表通りの落ち着いた地方都市の佇まいから一歩足を踏み入れると、そこには人口20万人にも満たない地方都市の規模を遥かに超越した、何十軒もの大型特殊浴場(ソープランド)や無料案内所が密集する異様な光景が広がっている。地方都市の中心市街地が軒並みシャッター通り化し、空洞化に苛まれるなか、裏春日の路地だけは、巨大な看板建築とギラギラしたネオンサインを夜空に反射させ、強烈な圧迫感を放ち続けている。

なぜ、四方を山に囲まれた閉鎖的な甲府盆地のど真ん中に、これほど大規模な色街が孤立したまま生き残っているのか。

歴史を紐解けば、甲府にはかつて甲州街道の宿場町として栄えた時代から「穴切(あなぎり)遊郭」をはじめとする遊興地が存在し、旅人や商人を相手に夜の街が形成されてきた素地がある。盆地という逃げ場のないすり鉢状の地形は、域内で発生した富と欲望を外に逃がさず、すべて盆地の底へと濃縮・沈殿させる作用を持っていた。

さらに戦後、近隣の石和温泉の開湯と高度経済成長期の観光ブームがこの街を急激に肥大化させた。東京から押し寄せる大宴会帰りのサラリーマンや団体旅行客、そして盆地周辺のぶどう農園や地場産業(宝飾貴金属加工や精密機械)で莫大な富を手にした地元の男たちが、夜の最終目的地としてこの裏春日へ金を落とし続けた。外部の資本や行政の再開発の手が届かない路地裏の結界の中で、この街は独自の生態系として自己完結し、昭和の欲望をそのまま保存したタイムカプセルのように生き残ったのだ。

昼間はぶどう畑の緑とワイナリーの薫りに満ち、世界に誇るウイスキーを育む清らかな水と森、そして高原の避暑地やスキー場。そのすぐ裏側で、盆地の底に深く沈殿する巨大な特殊浴場街のネオンが灯る。

この極端な落差と二面性こそが、四方を山に遮られた甲府盆地が数百年かけて醸成してきた、夜の都市生態系のリアルな貌(かお)である。

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