1980年代の週刊少年ジャンプで『北斗の拳』という世紀末の神話を打ち立てた漫画家・原哲夫。彼が次にキャンバスとして選んだのは、荒廃した未来都市ではなく、群雄割拠の戦国末期だった。
1990年に連載が始まった『花の慶次 ―雲のかなたに―』(原作:隆慶一郎『一夢庵風流記』)は、少年漫画における「歴史もの・時代劇」の枠組みを根底から覆した名作である。
当時の少年誌において、歴史漫画といえば織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、あるいは真田幸村といった超メジャー武将が主役を張るのが鉄則だった。ところが、本作の主人公に選ばれたのは、当時の一般層にはほぼ無名に等しかった武将「前田慶次郎利益(前田慶次)」である。
加賀百万石の祖・前田利家の甥でありながら、出世や家督争いには一切目もくれず、ド派手な装束に身を包んで権力者を嘲笑い、己の風流と美学のためだけに命を懸ける「傾奇者(かぶきもの)」。
この型破りな男の生き様を描いた本作は、歴史ファンのみならず当時の少年たちを熱狂させ、戦国時代の価値観そのものをポップカルチャーへと再定義した。
隠しきれない世紀末の遺伝子:どう見ても「黒王号」な名馬・松風
本作の魅力であり、同時に読者が思わずニヤリとしてしまう最大のポイントが、全編に漂う「圧倒的な北斗の拳感」である。
原哲夫の真骨頂である緻密極まる劇画タッチ、浮き上がる筋肉の筋繊維、威圧感あふれる骨格。どれほど髷を結い、陣羽織を羽織り、戦国時代の町並みに立っていようとも、画面から溢れ出るオーラは世紀末覇者そのものだ。
登場する武将たちも決して例外ではない。直江兼続、奥村助右衛門、真田幸村、伊達政宗といった名将たちが実名で登場し、重厚な政治劇や戦術論を展開するのだが、ひとたび戦場に出れば槍の一撃で敵兵が吹き飛び、素手で兜を叩き割るような超人的肉体言語が炸裂する。
なかでも象徴的なのが、慶次の愛馬「松風」の描写だ。
戦国時代の在来馬(木曽馬など)は本来、体高130〜140センチ程度の小柄な体格だったと歴史上記録されている。しかし、原哲夫のペンが描き出した松風は、どう見ても軽自動車や小型トラックほどもある規格外の巨躯。漆黒の毛並み、獰猛な眼光、蹄の一撃で人間を粉砕するその姿は、誰がどう見てもラオウの愛馬「黒王号」の血統そのものであった。
史実のリアリズムをあえて豪快に踏み倒し、「漢の器に見合う馬はこれくらいデカくなければ嘘だ」と言わんばかりのハッタリこそが、原哲夫劇画の真骨頂だった。
ニューギンが切り拓いた「加齢臭」の美学:サミーの北斗と対をなす大人の戦い
連載終了から十数年が経った2007年、『花の慶次』はパチンコ業界において前代未聞の社会現象を巻き起こすことになる。ニューギンからリリースされた『CR花の慶次〜雲のかなたに〜』である。
当時、パチンコ・パチスロ市場の覇権を握っていたのは、サミーが展開する『北斗の拳』シリーズだった。出玉の鍵を握る継続システム「バトルスペック」の爽快感と、若いスロットファンやアニメファンを惹きつけるスマートな演出がホールを席巻していた時代だ。
そこに真っ向から殴り込みをかけたニューギンの『花の慶次』は、同じバトルタイプでありながら、サミーとは完全に対極のベクトルを突き進んだ。
漂ってきたのは、あまりにも濃厚な「男気」と「大人の加齢臭」である。
煙管(キセル)をカンカンと叩きつける激アツの予告演出、画面一杯に舞い散る真紅の桜吹雪、そして大当たり中にホール全体へ響き渡る角田信朗の重厚なド演歌調ソング(「傾奇者恋歌」「よっしゃあ漢唄」)。
若者向けのスマートさなど微塵も狙わず、酸いも甘いも噛み分けた中高年男性の琴線を鷲掴みにする泥臭い様式美。この徹底した演出コンセプトが見事に的中し、慶次は『北斗の拳』と並ぶパチンコ界の二大巨頭へと登りつめた。歴史に埋もれかけていたマイナー武将が、パチンコというメディアを通じて日本中のおじさんたちのヒーローとして完全復活を遂げたのである。
権力に媚びず、散り際を愛す:現代人が憧れる「自由の極致」
なぜ、前田慶次という男は、これほどまでに時代や媒体を超えて男たちの心を惹きつけてやまないのか。
それは彼が、徹底して「組織の論理」や「権力の暴力」に屈しない自由人だったからだ。天下人となった豊臣秀吉の御前であっても決してペコペコと頭を下げず、猿の面をかぶって天下人を手玉に取り、それでいて武士としての筋はミリ単位たりとも外さない。
理不尽な上司、不条理な社会構造、息苦しい忖度とコンプライアンスに縛られた現代を生きる私たちにとって、利害得失をすべて捨て、ただ己の美学と「一献の酒」「友との信義」のためだけに命を散らすことができる慶次の姿は、究極の憧れでありカタルシスなのだ。
『花の慶次』は、単なる歴史の再現ではない。無名だった一人の傾奇者を発掘し、原哲夫の暴力的なまでの画力と、漢のロマンを限界まで煮詰めて叩きつけた、唯一無二のエンターテインメントである。
『北斗の拳』で世紀末を描いた男が、戦国末期という動乱の終わりに見出した、散りゆく桜のような美学。煙管の煙をくゆらせ、巨馬に跨がり、天下の権力者を笑い飛ばすその豪胆な背中は、令和の時代になった今もなお、色褪せることのない輝きを放ち続けている。

