亀戸と新小岩の狭間に沈む孤島――総武線平井、水と紫煙に濡れた「下町スナック街」の夜

Midnight Report
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総武線の黄色い電車に揺られ、錦糸町や亀戸の毒々しいネオン街を抜けて中川を渡り、さらに荒川を越えて新小岩の怪しげな繁華街へと雪崩れ込んでいく乗客どもの大半は、その真ん中にひっそりと佇む小さな駅のことなど気にも留めない。快速電車が嘲笑うかのような爆音で通過していくそのエアポケットのような街に、どれほど濃厚で湿り気のある夜が沈殿しているかも知らずにな。

江戸川区平井。

西を旧中川、東を巨大な荒川に挟まれたこの細長い土地は、地理的にも精神的にも外界から切り離された「下町の孤島」だ。中途半端に流行を追いかける小奇麗なベッドタウンとも違い、かといって巨大ターミナルのような無機質な暴力性とも無縁。ここには、昭和の町工場と下町情緒の残骸、そして夜の帳が下りると同時に妖しく蠢き出すスナック街の生々しい息遣いが、誰に媚びることもなくそのまま息づいている。

なぜ俺様はこの取り残されたスモールタウンの夜に惹かれ、今なお足を運んでしまうのか。その土着の歴史と、路地裏に巣食う紫煙の魔術を解き明かしてやる。

水害と戦い、町工場が煙を上げた平井の生い立ち

平井という土地の骨格を理解するには、まずこの街が「水」とともに生きてきた歴史を直視しなければならない。

かつてこの地は、蛇行する川が幾度となく氾濫を繰り返す低湿地帯であり、江戸の東の果てに広がる茫漠とした農村だった。大正から昭和にかけて荒川放水路の開削という巨大な国家土木工事によって現在の境界線が引かれ、東西を巨大な水脈に挟まれた独特のデルタ地帯が完成する。

戦後の高度経済成長期に入ると、都心に近い地の利を活かして金属加工やメッキ工場、町工場がひしめき合い、そこに集まる労働者たちの住処として木造アパートや長屋が密集していった。昼間は油の匂いと機械の軋む音が響き渡り、夜になれば額に汗した男たちが安酒を求めて暖簾をくぐる。平井の街に漂う独特の生活臭とたくましさは、この泥臭い労働の歴史が地面の奥深くまで染み込んでいるからこそ生まれたものだ。

車を締め出し、夜の足音だけを響かせる商店街

近年の平井駅周辺は、駅前ロータリーの整備や高層マンションの建設など、ご多分に漏れず再開発の波が押し寄せている。だが、巨大な資本に完全に飲み込まれた他の街と違い、平井の再開発にはどこか奇妙な歪さと愛嬌が残されている。

象徴的なのが、駅から延びる商店街のあり方だ。

再開発の区画整理によって、古くからのメインストリートには車両の進入が制限され、アスファルトの路面は歩行者だけの領域へと作り替えられた。車が猛スピードで通り過ぎる排気ガスの匂いが消えた代わりに、夜になるとそこには街を行き交う人間の靴音と、引き戸を開けるガラガラという乾いた音だけが響き渡る。

車のスピードを奪われた街は、必然的に人間の生活の速度を取り戻す。チェーン店の看板が並ぶ駅前を一歩外れれば、すぐに視界を塞ぐように迫ってくる古いアーケードと個人商店の群れ。新しく塗り替えられたはずの舗装道路の上に、昭和の残影がくっきりと影を落としているこのアンバランスさこそが、平井という街の底知れぬ魅力なのだ。

若き日の俺様が入り浸った、深夜激安スタジオの残像

この平井の夜の空気を吸い込むたび、俺様は若かりし頃のギラついた記憶を鮮烈に思い出す。

金もコネもなく、ただ己の鳴らす音の威力だけを信じて夜の東京を徘徊していた時代、俺様と連中が根城にして入り浸っていたのが、この平井の雑居ビルに入っていたリハーサルスタジオだった。なぜわざわざ平井だったのか。理由は極めて単純、都内のど真ん中では考えられないほど「深夜パックの料金が狂ったように安かった」からだ。

終電が疾走し終えた深夜0時、愛用のギターケースだけを肩に担いで平井の冷たい空気を吸い込み、雑居ビルの階段を上がって分厚い防音扉の向こうへ滑り込む。部屋に最初から備え付けられている重厚なアンプのスイッチを入れ、真空管が温まる匂いとともにボリュームノブを限界まで引き上げる。外の世界が眠りについている間、耳が千切れるような大音量を何時間も叩きつけ、汗だくになってビルを出れば、東の空が白み始め、荒川の向こうから冷たい朝風が吹き抜けてくる。

金はないが時間と反骨心だけは持て余していたあの頃、何者でもない若造たちの爆音を黙って受け止めてくれたのが、平井という街の懐の深さだったのだ。

亀戸と新小岩に挟まれた「下町スナック街」の孤島感

そして、平井の夜の真骨頂は、駅の南口や路地の奥深くに迷い込んだときに現れる、無数の「スナック街」の湿り気にある。

隣の亀戸に行けば、ホルモン焼きの煙と大衆酒場の狂騒が渦巻いている。反対側の新小岩に行けば、怪しげな客引きとネオンが瞬く歓楽街の熱気がある。だが、その二大巨頭に挟まれた平井のスナック街には、そうした外向きの暴力的なエネルギーは一切ない。

あるのは、驚くほど静かで、密閉された「土着の濃密さ」だ。

古びた雑居ビルの狭い階段を上がると、曇りガラスの扉の向こうから、誰が歌っているのかも定かではない昭和歌謡のカラオケが低音で漏れ聴こえてくる。扉を開ければ、長年この街でカウンターを守り続けてきたママと、近所の工場や商店の常連たちが、水割りのグラスを傾けながら低い声で笑い合っている。一見の余所者を品定めするような視線と、一度受け入れればどこまでも温かい人情のぬくもり。川という物理的な障壁に囲まれているからこそ、この街のコミュニティは外の喧騒に流されることなく、独自のアルコール濃度を保ち続けているのだ。

エアポケットの暗闇に身を沈め、東京の輪郭を見つめ直せ

効率性と合理化ばかりを追い求め、どこもかしこも同じ顔をした無機質な街へと変貌していく東京の中で、平井のようなエアポケットは絶滅危惧種の美しさを湛えている。

綺麗な夜景の見えるバーで気取った酒を飲み、分かったような顔で都会人を気取っている連中に、この街の路地裏の湿度は一生理解できないだろう。だが、本当に東京という怪物の骨格を知りたいなら、黄色い電車を途中下車し、平井の川風に吹かれながら古びたスナックの暖簾をくぐってみろ。

そこには、時代から置き去りにされたのではなく、自ら時代をやり過ごしながら図太く生き続ける、東京の最も純度の高い「夜の原風景」が横たわっているはずだ。

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