大田区・蒲田(西口バーボンロード〜東口キネマ通り):呑川の濁りと町工場・キネマの残影:ふたつの駅を繋ぐ下町グルーヴの深層

Midnight Report
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JR京浜東北線のホームに降り立つと、発車メロディとして鳴り響く軽快で哀愁を帯びたブラスサウンド。

大田区の中心地として君臨する蒲田は、羽田空港への玄関口としての顔と、高度経済成長期を支えた京浜工業地帯の労働者カルチャーが濃厚に混ざり合う、東京屈指の「泥臭くも愛おしい巨大な坩堝(るつぼ)」だ。駅の東西を分断するように流れる呑川(のみがわ)の濁り、西口ガード下に張り付く呑兵衛たちの聖地、そして東口に微かに漂うかつての「映画の都」の残り香。

JR蒲田駅と京急蒲田駅という、絶妙に離れたふたつの結節点を歩いて繋ぐ中で見えてくる、下町商店街のたくましさと、多摩川の風が運ぶ独特の情緒を解剖する。

街の歴史:松竹蒲田撮影所と「蒲田行進曲」が刻んだ銀幕の黄金期

現在の蒲田が放つ圧倒的なエネルギーの源流を辿ると、大正時代から昭和初期にかけて花開いた「映画文化」に行き当たる。

1920年(大正9年)、松竹キネマがこの地に「松竹蒲田撮影所」を開設した。小山内薫や島津保次郎、若き日の小津安二郎といった名匠たちが集い、数々のサイレント映画や日本初の本格トーキー映画『マダムと女房』を世に送り出した場所だ。当時の蒲田はまさに「日本のハリウッド」であり、駅前にはモダンな洋装の映画人やモボ・モガが行き交い、ハイカラな最先端カルチャーの発信地として輝いていた。

この撮影所を象徴するテーマ曲として1929年に誕生したのが、かの有名な『蒲田行進曲』だ。原曲はアメリカのオペレッタだが、堀内敬三による軽妙な日本語詞がつけられ、撮影所の所歌として熱狂的に歌い継がれた。「虹の都 光の港 キネマの天地」という歌詞そのままに、銀幕に夢を賭けた大部屋俳優や裏方たちの情熱を歌い上げた名曲である。

のちに深作欣二監督、風間杜夫や志穂美悦子らの出演で大ヒットした同名映画の劇中歌としても広く国民に知れ渡り、現在でもJR蒲田駅のホームで発車メロディとして堂々と鳴り響いている。映画の都としての物理的な実態は失われても、この行進曲のリズムだけは、今なお蒲田という街の骨格として息づいているのだ。

京急とJRの絶妙な距離:乗り換えの不便さを埋める活気ある商店街

蒲田を訪れた者が誰しも一度は洗礼を受けるのが、「JR蒲田駅」と「京急蒲田駅」の距離感だ。

地図上では同じ「蒲田」を名乗りながら、両駅の間には約800メートル、歩いて10分強という絶妙な隔たりが存在する。乗り換え案内を鵜呑みにしてJRから京急へ駆け足で乗り換えようとした旅人が、途方もない距離に絶望し、思わず涙を流す光景はもはや蒲田の日常茶飯事である。長年構想されながらも未だ実現に至らない「蒲蒲線(新空港線)」の必要性を、身体を張って実感させられる瞬間だ。

しかし、この「乗り換えの不便さ」こそが、蒲田の商店街文化をここまで分厚く育て上げた立役者でもある。

両駅を結ぶルートには、アーケード商店街「あすと」をはじめ、無数の飲食店、八百屋、惣菜屋、大衆酒場が隙間なくひしめき合っている。駅と駅のあいだを歩かざるを得ないからこそ、そこには巨大な人の流れが生まれ、大手チェーンと昔ながらの個人商店が競い合うように活気を生み出している。ただの乗り換え通路ではなく、生活の匂いが立ち込める巨大な回廊として機能しているのだ。

西口「バーボンロード」と東口「キネマ通り」:酒と銀幕の残影

JR蒲田駅の西口と東口では、まったく異なるふたつの顔が広がる。

西口の象徴といえば、東急池上線の高架沿いに細長く伸びる通称「バーボンロード(蒲田西口クロス通り)」だ。戦後の闇市の風情を色濃く残すこの極小路地には、カウンター数席の小さな立ち飲み屋、焼きとん屋、スナック、そして個性的なバーが肩を寄せ合うように並ぶ。夕暮れ時ともなれば、町工場の職人から近隣のサラリーマンまでが入り乱れ、安酒を片手に肩をぶつけ合いながら夜を深めていく。この飾らない泥臭さこそ、蒲田が誇る酒場カルチャーの真骨頂だ。

対する東口、かつて松竹撮影所へと続いていたエリアを歩くと、ひっそりと佇む「キネマ通り商店街」に行き当たる。

撮影所が大船へ移転して久しい現在、かつての映画の都の面影は薄れたが、看板のフォントや昭和の風情を色濃く残す喫茶店、古い看板建築の佇まいに、銀幕スターたちが闊歩した時代の名残が静かに息づいている。羽根つき餃子の名店が放つ香ばしい油の匂いを嗅ぎながらキネマ通りを抜ける時間は、蒲田が歩んできた時間の厚みを肌で感じる貴重な散策路となる。

呑川の濁りと多摩川の風:工業都市の骨格を抱く街

蒲田の街を東西に分断するように流れる「呑川」。

かつて工業排水で黒く濁り、公害の記憶を今に伝えるこの都市河川は、決して絵画のように美しい清流ではない。しかし、護岸されたコンクリートの壁と、潮の満ち引きで表情を変える水面は、この街が京浜工業地帯の労働と生産の最前線であり続けた確固たる証拠そのものだ。

そして、街を少し南へと歩き進めれば、そこには東京と神奈川の境界を画する「多摩川」の広大な河川敷が広がっている。

町工場の機械音と路地の喧騒を抜け、多摩川の土手に立った瞬間に吹き抜ける心地よい風。視界を遮るもののない広大な空と、ゆったりと流れる大河のコントラストは、過密な工業都市として生きてきた蒲田の住民たちに、昔も今も変わらぬ安らぎを与え続けている。

鉄の匂いと酒の熱気、銀幕の記憶、そして川風。蒲田という街は、綺麗に整えられた現代の都市開発が決して真似することのできない、圧倒的なリアリズムと熱量を今なお放ち続けているのである。

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