海上に浮かぶ巨大遊郭から光回線の要衝へ――洲崎の赤線跡と野球場が語る激動の記憶

Midnight Report
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東京の地下鉄東西線に乗り、木場駅と東陽町駅の間を歩いたことがあるだろうか。平日の昼間であればスーツを着たビジネスマンが行き交い、周囲には整然としたオフィスビルや大型マンション、江東区役所などの公共施設が立ち並ぶ、極めてクリーンで現代的な街並みが広がっている。

だが、この東陽町と木場の狭間に広がる一角――かつて「洲崎(すさき)」と呼ばれた土地の地歴を知る者は、今どれほどいるだろうか。表面上の小奇麗なビル群に目を奪われ、ただ漫然と通り過ぎているだけの奴らに、この街の真の深みは理解できない。

この地はかつて、あの浅草の「吉原」と並び称され、東京の夜を紅く焦がした巨大な遊郭であり、戦後には都内屈指の赤線地帯として男たちの欲望と哀歓を飲み込んできた特別な場所なのだ。現代の無機質な日常の足元には、剥き出しの人間の本能と歴史の激動が分厚く堆積している。

吉原を凌ぐ熱狂――海上の孤島に築かれた巨大遊郭

洲崎の歴史は、明治21年(1888年)に遡る。当時、皇居に近い芝の弥左衛門町や根津にあった遊郭が、東京帝大(現在の東京大学)の環境保全や都市開発を名目に立ち退きを命じられ、その移転先として選ばれたのが、深川の先、東京湾を埋め立てて作られたばかりの洲崎弁天町(現在の東陽一丁目付近)であった。

当時の洲崎は、まさに海の上に突き出た孤島のような土地だった。周囲を運河と海に囲まれ、外界との出入り口には橋が架けられ、吉原の大門と同様に遊女たちの逃亡を防ぐ構造が取られていた。四方を水に閉ざされた海上の遊郭――その隔離された空間に、最盛期には200軒を超える妓楼がひしめき、数千人もの遊女たちが暮らしていたのだ。

東京湾から吹き込む潮風を受けながら、夜ごと無数の提灯に明かりが灯り、三味線の音が響き渡る。吉原が江戸の格式と伝統を誇る格式張った街だったのに対し、新興の洲崎はより大衆的で、海辺ならではの開放感と熱気に満ち溢れていた。永井荷風をはじめとする文人墨鬼たちもこの地に足繁く通い、その淫靡で活気ある風情を文学へと昇華させていった。男たちが一夜の夢を買い、女たちが過酷な運命を生き抜いた巨大な歓楽の迷宮が、かつてこの場所に実在したのだ。

巨人と阪神が血戦を繰り広げた「幻の洲崎球場」

洲崎の歴史が持つ特異性は、遊郭だけに留まらない。この色街のすぐ目と鼻の先に、日本プロ野球史における伝説の聖地が存在したことを知る男は少ない。それが「洲崎球場(洲崎野球場)」である。

昭和11年(1936年)、大東京軍(後のライオン軍など)の本拠地として建設されたこの球場は、なんと木造スタンドで内野席と外野席を合わせ、約3万人を収容する巨大施設であった。そしてこの洲崎球場こそ、読売巨人軍と大阪タイガース(現在の阪神タイガース)による記念すべき「第1回日本職業野球選手権」の優勝決定戦が行われた舞台なのだ。沢村栄治が腕を振り、伝統の一戦の火蓋が切られた歴史的瞬間は、この深川の埋立地で刻まれたのである。

だが、海辺の突貫工事で作られた洲崎球場は、満潮になると東京湾から海水がグラウンドに染み出し、コールドゲームになるという信じられない欠陥を抱えていた。グラウンドをカニが這い回り、波打ち際の球場と呼ばれたその伝説のスタジアムは、わずか2年足らずで後楽園球場などに役目を譲り、姿を消すこととなる。極彩色の色街のすぐ隣で、若き男たちが白球を追い、潮風の中で歓声を上げていた――この奇妙でエネルギッシュな混沌こそが、洲崎という土地が持つ剥き出しのパワーであった。

赤線の終焉から、最先端の「光回線・データセンター要衝」へ

戦時中の東京大空襲によって洲崎の街は灰燼に帰したが、戦後すぐに「洲崎パラダイス」と名を変え、都内でも有数の規模を誇るカフェー街、すなわち「赤線地帯」として驚異的な復興を遂げた。進駐軍の兵士や生きることに飢えた人々が押し寄せ、ネオンが毒々しく輝く享楽の街として再び男たちを狂喜させたのだ。

しかし、昭和33年(1958年)の売春防止法の完全施行により、洲崎パラダイスはその長い歴史に完全に幕を下ろした。色街としての灯火は消え去り、かつての妓楼やカフェー建築は時代の波とともに取り壊され、街は急速にオフィスと住宅が密集する現代都市へと塗り替えられていった。

そして現代、この洲崎(東陽町・深川エリア)が何の街になっているかといえば、なんと「最先端データセンターと通信網の集積地」である。

実はこの地域は、地盤の強固な区画の確保や都心部への近接性、そして電源インフラの利便性から、大型のデータセンターが数多く建設された。USENをはじめとする通信事業者が、全国に先駆けて超高速の光ファイバー網を敷設・導入したのもこのエリアである。かつて男たちの欲望と情念が渦巻いていた海上の色街は、今や日本中のデジタルデータと莫大な情報が光の速度で駆け巡る、首都東京の頭脳・神経中枢へと完全に姿を変えたのだ。この劇的な変貌ぶりに、歴史の数奇なダイナミズムを感じずにはいられない。

面影なき街を歩く――大人の男にしかできない知的散策

現在、東陽町から木場にかけての街並みを歩いても、かつて巨大な遊郭や赤線が存在したことを示す直接的な痕跡は、ほとんど残っていない。当時の特異な円柱やタイル張りを残したカフェー建築も、再開発と老朽化によって姿を消し、洲崎弁天の鳥居や石碑、洲崎球場跡のモニュメントがわずかに過去を物語るのみである。

だが、それでいいのだ。わかりやすい観光名所など、無知な大衆に眺めさせておけばいい。大人の男の散策とは、目に見える風景の裏側に眠る「時間の地層」を読み解く行為である。

オフィスビルから吐き出される冷気を感じ、地下に張り巡らされた無数の光ケーブルの鼓動を想像しながら、かつてここにあった大門の位置をなぞり、波打ち際で客引きの声を張り上げていた女たちの気配に耳を澄ませる。欲望、栄華、戦争、野球の熱狂、そしてデジタル技術の最前線へ――幾重にも重なり合った歴史のドラマを脳内で再生しながら歩くことこそ、真の知性と余裕を持った男の贅沢な時間の過ごし方なのだ。

東陽町と木場の間を訪れる機会があるなら、スマホの画面ばかり見つめて歩くのはやめろ。足元のコンクリートの下に眠る「洲崎」という巨大な記憶に思いを馳せ、時代の激流を生き抜いてきた東京の深淵をその肌で感じ取るのだ。

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