高松で連絡船マネーの残り香を嗅ぎ、松山でリフトに乗って山城を攻め、高知の55番街で泥酔カルチャーの洗礼を浴びた俺様。四国遠征のグランドフィナーレとして向かったのは、東の要衝・徳島である。
徳島といえば、本州と四国を結ぶもう一つの大動脈・大鳴門橋と明石海峡大橋を渡れば、神戸や大阪から最も近い「四国の東の玄関口」だ。淡路島を縦断し、鳴門海峡の荒れ狂う巨大な渦潮を橋の上から見下ろしながら四国へ上陸するルートは、瀬戸大橋の穏やかな多島美とはまた違った、自然のダイナミズムを感じさせる。
だが、関西圏に一番近いがゆえに、現代では「神戸や大阪のベッドタウン・通過点」として軽視されがちな側面もある。そんな先入観を抱きつつ徳島市内へと車を滑り込ませた俺様を待っていたのは、四国三郎・吉野川が育んだ悠久の歴史と、この街にしか流れていない独特の濃密な空気感だった。
暴れ川「吉野川」の恵みと、阿波藍がもたらした莫大な富
徳島という街を語る上で、絶対に避けて通れないのが「四国三郎」の異名を持つ大河・吉野川の存在だ。四国山地から豊かな土砂を運び込み、紀伊水道へと注ぐこの巨大な暴れ川は、幾度となく大洪水を巻き起こして流域の人々を苦しめてきた。
しかし、自然の猛威は同時に、この地に計り知れない莫大な富をもたらした。度重なる洪水が運んでくる肥沃な土壌こそが、高級染料として全国を席巻した「阿波藍(あい)」の栽培に完璧な環境を提供したのだ。江戸時代、藍の専売制によって徳島藩(蜂須賀家)が蓄え込んだ財力は凄まじく、阿波の豪商たちはその潤沢な藍マネーを背景に、上方や江戸の文化をどん欲に呑み込んでいった。
吉野川の河口に開けた徳島のデルタ地帯は、川が運んできた水と土、そして全国へ藍や塩を運び出した舟運のネットワークによって、四国屈指の豊かな経済都市として早くから基礎を固めていたのである。
阿波踊りの熱狂と、やまびこ打線が轟かせた土性骨
そして、その阿波の富と庶民のエネルギーが爆発して結晶化したものこそが、四百年以上の歴史を誇る「阿波踊り」だ。一説には徳島城の築城祝いに町民が城下で踊り狂ったのが始まりとも言われるが、本質はもっと深い。暴れ川の氾濫と隣り合わせで生き、藍の相場で一喜一憂してきた阿波の人々が、年に一度、身分も憂鬱もすべてかなぐり捨てて現世を肯定するための爆発的なカーニバル――それが「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」というあの狂気のフレーズに凝縮されている。
毎年8月のお盆の4日間、人口二十数万人の地方都市に百万人を超える人間が押し寄せ、鉦(かね)と太鼓の地鳴りのようなビートの中で街全体がトランス状態に陥る。あの狂乱は、普段は物静かで温厚に見える徳島人の奥底に、凄まじい反骨精神とマグマのような情熱が眠っている証拠だ。
その土佐人とはまた違う「内に秘めた反骨と爆発力」を全国に見せつけたもう一つの象徴が、かつて甲子園を席巻した徳島県立池田高校の「やまびこ打線」だろう。山あいの過疎の町の県立高校が、蔦文也監督のスパルタ指導のもと、金属バットをこれでもかと強振してPL学園や早稲田実業といった名門私学を粉砕していく姿に、昭和の日本中が熱狂した。「山ん中で育った貧乏な公立が、都会のエリートを力でねじ伏せる」――吉野川の上流で培われたあの圧倒的なパワーと泥臭い土性骨もまた、徳島という土地の紛れもないDNAなのだ。
祭りの後――秋田町に広がる静寂と、巨大飲食街の影
だが、俺様が徳島を訪れたのは、阿波踊りの喧騒がとっくに過ぎ去った秋の夜だった。徳島駅前から眉山(びざん)を仰ぎ見つつ、新町川の橋を渡って南へと歩みを進める。目指すは、四国でも高松の古馬場町、松山の三番町と並び称される徳島最大の歓楽街――「秋田町(あきたまち)」、そして「富田町」エリアだ。
目抜き通りから一本入ると、そこには地方都市のスケールを遥かに超えた、巨大な雑居ビルの群れが広がっている。スナック、クラブ、ラウンジ、居酒屋、海鮮割烹。吉野川の河口デルタという限られた平野部に、これでもかと夜の看板が密集している。
しかし、歩いてみて肌で感じるのは、高知の55番街のような剥き出しの泥酔エネルギーでも、松山三番町のような企業戦士たちの張り詰めたビジネスの熱気でもない。どこかピンと張り詰めたような「深い静寂と落ち着き」なのだ。
8月の阿波踊りの期間中、この秋田町は全国から集まった踊り手と観光客で足の踏み場もないほどの熱狂に包まれ、夜が明けるまで酒が浴びるように消費される。だが、祭りが終われば、街は何事もなかったかのように日常の顔を取り戻す。あの一夜にして街全体が熱狂から覚め、静かな夜の帳へと沈んでいくコントラスト。巨大な歓楽街のネオンが、吉野川の穏やかな川風に吹かれながら静かに揺れている光景には、大人の旅情を強烈に刺激する不思議な色気が漂っている。
鳴門の鯛とすだちを肴に、阿波の夜に浸る
雑居ビルの2階にある渋い小料理屋の暖簾をくぐり、カウンターに腰を下ろす。注文したのは、鳴門海峡の激流に揉まれて身がバキバキに引き締まった「鳴門鯛」の刺身と、阿波尾鶏の炭火焼き。徳島特産のすだちをギュッと搾り、地酒の「鳴門鯛」をクイッと煽る。すだちの清冽な酸味と、上品な魚の脂、そして米の旨味が喉を通る瞬間、長旅の疲れが一気に吹き飛んでいく。
カウンターの向こうで物静かに包丁を握る大将と、ポツリポツリと世間話を交わす。阿波踊りの時の凄まじい狂乱の話、吉野川の鮎の話、そして普段の街の穏やかな暮らしの話。高知のような豪快な絡み酒ではないが、静かに、そして温かく旅人を迎え入れてくれる阿波の人情が、じわりと五臓六腑に染み渡ってくる。
狂乱の阿波踊り、吉野川の雄大な流れ、池田高校が示した不屈の闘志。徳島という街は、普段は川のせせらぎのように物静かに佇みながら、その内懐にはかつての藍マネーが築いた重厚な歴史と、ここぞという時に爆発させる強烈なエネルギーを秘めている。
祭りの喧騒が終わった後の静かな秋田町でグラスを傾けながら、俺様は四国四県がそれぞれに紡いできた、唯一無二の夜の物語の深さに、深く深く酔いしれていたのである。

